用語集 

20071227日作成 2010年1月4日改訂 

事項

●アメリカ帝国(American Empire) 皇帝も国王もいない米国がなぜ「帝国」なのか。軍事的な制圧、多民族支配、植民地支配、経済的優越性が帝国の規定であり、冷戦後の米国が比類ない軍事超大国であるからその世界支配を「帝国」と呼ぶのだと言われる(藤原帰一『デモクラシーの帝国』岩波新書、2002年)。ジョン・パーキンスは①支配する土地から資源を搾取する、②その人口規模に見合わないほど大量の資源を消費する、③外交が失敗したときに政策を強制できる強大な軍事力を有する、④その言語、文学、美術、文化の様々な側面を影響地域に広げる、⑤自国市民だけでなく他国の市民にも課税できる、⑥支配下の国にその通貨を強制できる、という6つの指標のいくつかを有するのが「帝国」だと指摘する(The Secret History of the American EmpireJohn PerkinsDutton2007p.4-5)。①石油その他の資源を世界中から確保する、②米国は1人あたり資源消費が他国より非常に多い、③軍事超大国であり、世界の軍事費の半分近くを占める、④英語やマクドナルド食文化の支配力・影響力、⑤日本や中国に米国債を買わせたり、米軍への思いやり予算を出させる、⑥ユーロが台頭してきたがドルはなお基軸通貨であり、大債務国でありながら世界銀行・IMFの支配を受けないどころか、逆に世銀・IMFを支配している、という意味で、パーキンスの指摘は適切であろう。「アメリカ帝国」「アメリカ帝国主義」はもともと左翼用語であったが、冷戦終結後、「アメリカ帝国」を肯定的な意味で(「善意の帝国」)使う人々があらわれた。ブッシュ・ジュニア政権の登場後は、「アメリカ帝国」への反発が強まった。古矢旬『アメリカ 過去と現在の間』(岩波新書2004年)の「第Ⅱ章 帝国」も参照。現代世界においては、アメリカ帝国というよりもむしろ、「アメリカを盟主とする集合的帝国主義(collective imperialism)」がグローバル・アパルトヘイトを維持しつつ覇権を確保している(栗原康『G8サミット体制とはなにか』以文社2008年;The Road to 9/11: Wealth, Empire, and the Future of AmericaPeter Dale ScottUniversity of California Press2007.などを参照)と考えるべきではないだろうか(「集合的帝国主義」は、エジプトのサミール・アミン博士の用語)。ウィキペディアにも「アメリカ帝国」の項目(日英仏、エスペラントほか)がある。

 

●新しい社会運動  労働運動と対比して、環境運動、女性運動、平和運動などを言う。

●ウィキペディア インターネット上の百科事典。グーグル検索でいつも上位に出てくるのは何故だろう。ウィキペディアの内容は、項目によって出来不出来が激しい。このサイトでもたびたび引用しているが(たとえば授業資料の「バイオ燃料」)、もちろん通読して信頼できるものに限定している。「マキラドーラ」や「パナマ侵攻」のように、英語ウィキペディアは充実しているのに日本語ウィキペディアは手抜きのものも少なくないので要注意。また論争的な項目は編集合戦になる。たとえば「女性国際戦犯法廷」は編集合戦が激しかったので、現在は保護中(書き換え停止)である。

●宇宙の軍事化 陸海空に加えて宇宙にも[宇宙からも]軍事的覇権を及ぼそうとする(軍事衛星に加えてミサイル、レーザー兵器、原子炉などを配備しようとする米軍・米国政府の考え方。レーガン政権の戦略防衛構想(1983年)以来明言されている。宇宙平和利用条約(1967年)に反する疑いがある。日本でも2008年5月に宇宙基本法が制定されて宇宙の防衛目的軍事利用が一部解禁された。自民党は1957年以来「防衛目的の核兵器保有は合憲」との解釈をとっており、米国の「ミサイル防衛」も攻撃的要素を含むので、「防衛」は拡大解釈されるおそれがある。『グローバリゼーションと戦争 : 宇宙と核の覇権めざすアメリカ』藤岡惇(大月書店2004年)などを参照。

●エコ社会主義(ecosocialism) 資本主義が環境破壊の根源にあることを認識し、ソ連型社会主義が人権や環境の面で資本主義の代案を提示できなかった理由を検討しつつ、民主的な社会主義のもとでの環境保全をめざす環境思想。メアリ・メラー、キャロリン・マーチャント、ジョエル・コヴェル、デヴィッド・ペッパー、ジョン・ベラミー・フォスター、アンドレ・ゴルツ、武田一博、いいだもも、佐々木力などに代表される。『エコ社会主義とは何か』コヴェル、戸田訳(緑風出版2009年)などを参照。

●エコデモクラシー(ecodemocracy、エコ民主主義) あまり聞かない言葉だが、グーグルで検索すると用例がある。私見では、環境正義や、英国で言う炭素[1人当たり排出]民主主義(carbon democracy)、エコ社会主義はこれに親和的な概念であり、エコファシズムはこれと対極的な概念である。技術で言えば、核(原子力)は危険であり(放射線被曝労働、日常的汚染、事故など)核兵器に転用できるので中央集権的でファシズムにつながりかねないとロベルト・ユンクらは指摘した。自然エネルギーは地域分散型であり、エコデモクラシーと親和的である。16世紀に始まる近代世界システム(資本主義世界システム)はニュートンに代表される17世紀科学革命を経て、近代技術が利潤追求および利潤追求の基盤整備(武力行使を含む)のために利用される傾向がある。近代技術を自然と共生し人間の福祉を高める方向で用いることがエコデモクラシーであり、誤解されるように「江戸時代に戻る」ことではない。16世紀に始まる「近代[資本主義]世界システム」が過剰消費と汚染を通じて地球の限界と衝突したのが20世紀であり、ウォーラーステインが示唆するように21世紀には「次の世界システム」への移行の時代と思われる。選択肢はエコデモクラシーとエコファシズムに大別され、どちらの方向に近づくかは、21世紀前半の人類の行動に大きく依存するであろう。

●エコファシズム(ecofascism) 権威主義的・ファシズム的政治手法と環境保全を結びつけること。環境政策は環境保全を民主主義や人権と結びつけるべきであるから、「エコファシズム」と「開発至上主義」が反面教師となる。ナチス・ドイツは自然保護や労働衛生(石綿による肺がん、中皮腫の先駆的な労災認定)などで一部先進性を示すとともに、侵略戦争やユダヤ人虐殺を行った。ナチスは他方で菜食主義や自然農法などの弾圧・抑圧も行っているので、環境主義との関係は複雑である(『ナチス・ドイツの有機農業』藤原辰史、柏書房2005年、『エコロジー』アンナ・ブラムウェル、森脇靖子ほか訳、河出書房新社1992年、参照)。現在でも、強権的な人口抑制政策、強権的・命令的な消費・環境負荷削減、発展途上国を犠牲にした先進国の資源・環境確保(ギャレット・ハーディンの「救命ボート倫理」はそれに近いと批判された)など、エコファシズムの危険はあると思われる。なお一部の喫煙擁護論者は喫煙抑制政策自体が「禁煙ファシズム」であると主張しているようだ。ウィキペディア英語版の「エコファシズム」項目は中立性に問題があるとして注意表示がついている(独語、仏語などにはあるが日本語版にはこの項目はない)。 

●エコ・フェミニズム(ecofeminism)  ジェンダー平等(男女平等)を強調する環境思想。ヴァンダナ・シヴァ、マリア・ミース、メアリ・メラー、キャロリン・マーチャントなどに代表される。

●エコロジカル・フットプリント(ecological footprint) 環境負荷や資源消費を面積に換算する手法で、カナダで開発された。世界中が大量消費の「アメリカ的生活様式」を採用するならば、「五・三個の地球」が必要になるという。『エコロジカル・フットプリントの活用』マティース・ワケナゲルほか、五頭美知訳(合同出版、2005年)などを参照。巨大な南北格差があるとともに、人類全体としても地球の環境容量を超えている(オーバーシュート)と推測されている。

エコロジカル・フットプリント・ジャパン http://www.ecofoot.jp/

Global Footprint Network http://www.footprintnetwork.org/

  Ecological Debt Day  http://www.footprintnetwork.org/gfn_sub.php?content=overshoot

●エコロジー的債務(ecological debt) 地球は有限であるが、過去数百年に欧米諸国(過去百年は日本も)は、他地域の資源を安価で入手して大量消費(過剰消費)したり、環境汚染を引き起こしたりしてきた。欧米(と日本)以外の地域の人々の被害の一部はいくつかの仮定をおいて金銭評価することもでき(奴隷貿易や自然破壊など金銭で償えないことも多いが)、エコロジー的債務という。発展途上国は先進国に対して「経済的債務」を負っているとよく言われるが、先進国は発展途上国に対して「エコロジー的債務」を負っている。地球温暖化問題や「バイオパイラシー」(項目参照)がエコロジー的債務の例である。「エコロジカル・フットプリント」も関連のある概念である。またエコロジー帝国主義(ecological imperialism)の概念も参照されたい(『ヨーロッパ帝国主義の謎 エコロジーから見た1020世紀』アルフレッド・クロスビー、佐々木昭夫訳、岩波書店1998年、『銃・病原菌・鉄』上下、ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社2000年、『グリーンウェポン : 植物資源による世界制覇ルシール・ブロックウェイ、小出五郎訳、社会思想社1983)。エコロジー的債務は書名にもなっている(Ecological debt: the health of the planet and the wealth of nations,Andrew Simms, Pluto  Press, 2005、必読)。エコロジー経済学の研究者として有名なホアン・マルチネス・アリエにもエコロジー的債務についての著書がある(Ecological Debt vs. External DebtA Latin American PerspectiveJoan Martinez-AlierUniversitat Autonoma de Barcelona1999.)米国は50年前には最大の債権国であったが、現在は経済的債務(financial debteconomic debt)において世界最大の債務国である。国際社会には、債務を返さなくてもふんぞり返っている国(米ドルは基軸通貨である)と、債務返済を督促され、世界銀行・IMFに内政干渉されていじめられる国々(累積債務を持つ発展途上国)がある。こうした二重基準(ダブル・スタンダード)も「グローバル・アパルトヘイト」の一例であろう。米国は経済的債務とエコロジー的債務の双方において世界最大の債務国である(Ecological debt,p.53)。排出量取引(排出権取引)については、上記のシムズは「そもそも所有していないものを取引できるはずがない」とコメントする。現在世代の浪費や汚染が将来世代を困らせる(たとえば核廃棄物の長期管理を強制される)という意味では、私たちは将来世代に対して債務を負っているともいえる。つまり、先進国の現在世代は、第三世界と将来世代に対してエコロジー的債務を負っているのだろう。なお、ウィキペディアの英語版(注意表示つき)と仏語版には「エコロジー的債務」の項目がある。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ecological_debt

●エスペラント(Esperanto) 1887年にユダヤ系ポーランド人医師ザメンホフが考案した民際語(国家権力を後ろ盾とする国際語ではない)。語彙はヨーロッパ語的(英語より仏語に近い)だが母音は日本語的であり、文法も簡便である。共通語として英語支配(英語帝国主義)へのオルタナティブとなりうる。

●エントロピー経済学 システム(地球生態系、生物、人間社会、機械など)が環境のなかで持続的に活動する[させる]ためには、活動に伴って生じるエントロピー(汚れ。廃物と廃熱)を物質循環によって処理する必要がある。物質循環によって処理できない廃物(放射性廃棄物など)を発生する活動は、将来世代への外部不経済(公害など)の押しつけである。こうした観点を取り入れて、経済学や社会学も再構築する必要がある。物理学者槌田敦、経済学者玉野井芳郎らによって1983年に設立されたエントロピー学会は、脱原発を掲げる唯一の学会である(環境社会学会も会員アンケートをとれば脱原発が大半だろう。しかし環境科学会会員や環境省職員のアンケートをとれば、原発容認が相当多いのではないだろうか。)『エントロピー』藤田祐幸、槌田敦(現代書館1985年)『循環の経済学』室田武、槌田敦ほか(学陽書房1995年)、『「循環型社会」を問う』エントロピー学会(藤原書店2001年)『循環型社会を創る』エントロピー学会(藤原書店2003年)『弱者のための「エントロピー経済学」入門』槌田敦(ほたる出版2007年)などを参照。

●オルタナティブ(alternatives) いまの支配的な技術、社会システム、価値観などに代わるもの。代替案、代替モデルなどと訳される。持続可能な社会への転換のためには、石油文明(化石燃料過剰消費)と核文明(ただし「原子力は石油の缶詰」なので、核はウラン採掘から核廃棄物処理処分まで石油などに依存する)へのオルタナティブが必要である。それは自然エネルギー、適正消費、平等(環境正義)を基本とするものであろう。また私見では、政治経済システムとしての資本主義は格差・貧困・環境破壊をもたらすので、そのオルタナティブが必要である。オルタナティブとしてのソ連型社会主義は失敗したので、オルタナティブ社会の新しい構想(連帯経済など)が必要である。また、オルタナティブ社会への移行手法としてのレーニン主義(暴力革命、一党独裁)の失敗も明らかであり、オルタナティブ社会への移行方法のオルタナティブも必要である。環境運動の視点からのオルタナティブ論としては「エコとピースのオルタナティブ」の副題をもつ『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』田中優(合同出版2005年)が必読である。

●核開発(原子力開発) 核にはatomicnuclearがあり、核兵器・生物兵器・化学兵器をかつては「ABC兵器」と呼んだが、最近は「NBC兵器」と呼ぶことが多い。日本では軍事利用を核(核兵器など)、民事利用(いわゆる平和利用)を原子力(原子力発電など)と言うことが多い。ただし軍艦でも「原潜(原子力潜水艦)」「原子力空母」という。「核潜」「核空母」とは言わない。だから核兵器を核、原子炉を原子力(原潜、原発)と呼ぶのが日本語の慣用なのかもしれない。政府・財界は「原子燃料」「原子燃料サイクル」という用語の定着を目指したが、マスコミを含めて「核燃料」「核燃料サイクル」が定着してしまった。世界の原発保有国31カ国のなかで、原発に加えてウラン濃縮工場、核燃料再処理工場を有するのは、核兵器保有国(公式の米、英、仏、露、中と非公式のイスラエル、インド、パキスタン、非公式途上の北朝鮮)の他には日本だけであり、日本の特異性がわかる。ウラン濃縮はもともとウラン原爆(広島原爆)をつくるための装置であり、原子炉と再処理工場はもともとプルトニウム原爆(長崎原爆)をつくるための装置であった。ウラン238がプルトニウム239の原料なので、兵器級のプルトニウム(原子炉級プルトニウムと対比される)になりやすいものから順にあげると、劣化ウラン、天然ウラン、濃縮ウランである。原爆開発計画の原子炉(ハンフォード)では天然ウランを用いていた。日本の最初の原発である東海1号(19661998)も英国から導入したコールダーホール型(マグノックス炉)で、天然ウランを用いていた。政府が1995年のナトリウム漏れ事故以来13年ぶりの再開を意図している高速増殖炉(FBR)もんじゅはブランケット燃料に劣化ウランを用いている。玄海原発をはじめとする軽水炉55基は低濃縮ウランを用いる。JCO臨界事故(1999年)の最大原因は、政府がFBR用に中濃縮ウランの加工を強要したことであった。原潜、原子力空母では高濃縮ウランを用いる。日本人はよく「核兵器はよくないが原発は必要だ」などと言うように核兵器と原発を対比させるが、対比すべきは「核兵器と原発」ではなくて、「核兵器と原子炉」である。核兵器は軍事利用、原発は民事利用、原子炉は軍民両用である。核兵器でさえ米国とソ連(当時)は民事利用(土木利用)を試みた。岸信介内閣は1957年に「自衛のための核兵器保有は合憲」と閣議了解したが、これはいまも撤回されていない。日本の潜在的核武装については、槌田敦・藤田祐幸ほか『隠して核武装する日本』(影書房2007年)などを参照。加圧水型PWR(関西電力、九州電力ほか)は原潜原子炉の応用であり、沸騰水型BWR(東京電力、中部電力ほか)はプルトニウム生産炉の応用である。白血病などの労災認定は老朽化したBWRに多い。核兵器は核反応を暴走させるものであり、原子炉は核反応を制御するものである。高レベル核廃棄物は1万年以上(米国政府の見解)監視せねばならないが、1万年後の日本政府や米国政府は果たしてどのような状態なのであろうか。六ヶ所再処理工場長は2008年にテレビ朝日の取材に答えて「1000年の計で原子力に取り組む」と述べたが、1000年後の人口は1000年前の人口(平安時代は数百万人)より少ないと想定されるので電力需要は小さいはずだ。原発推進学者の発言で一番面白いのは『六ヶ所村ラプソディ』(鎌仲ひとみ監督2006年)に登場した班目春樹(まだらめ・はるき)東京大学教授(原子力工学)の「原発は安心できない。不気味だから。せめて信頼してもらわないと」というものである。「信頼」の対象は「われわれ偉い学者」なのであろう。20億年ほど前にはアフリカにいわゆる天然原子炉があった。数十億年ないし100億年後には太陽の核融合反応が暴走していわゆる赤色巨星となり地球を飲み込む。

 白血病労災認定(浜岡原発)の嶋橋伸之さんは工業高校出身であった。工業高専から長崎大学環境科学部への編入生にはときおり強硬な原発賛成派がいる。工業高校・工業高専の出身者は工学部の出身者よりも過酷な労働現場(下請け労働者の指揮監督など)におかれるであろう。それで、工業高校・工業高専では工学部以上に激しく、原発の安全性・必要性についての「洗脳教育」(マインド・コントロール)がなされているのではないだろうか? 

国民に対する「洗脳教育」の筆頭は「地球温暖化対策のために原発を増やせ」という原発ルネッサンス・プロパガンダであろう。それへの反論としては、グリーンピース・ジャパンの『原子力は地球温暖化の抑止にならない』(2008年、PDFファイル32頁、http://www.greenpeace.or.jp/campaign/enerevo/news/files/booklet.pdf  )がわかりやすい。なおグリーンピースは日本のエネルギーを2050年までに段階的に「脱原発」させることを提言している。

グリーンピース・ジャパン著『エネルギー[reボリューション 持続可能な世界エネルギーアウトルック』(2008年、PDFファイル100頁)グリーンピース・インターナショナルと欧州再生可能エネルギー評議会(EREC)が共同で作成した報告書の日本語版。次の申し込み頁に氏名、メールアドレスなどを記入して、送信後ダウンロードページに進む。https://www.greenpeace.or.jp/ssl/enerevo/enerevo_application_html

グリーンピース・ジャパン『エネルギー[reボリューション 日本の持続可能なエネルギーアウトルック要約版』

2008年、PDFファイル8頁)

http://www.greenpeace.or.jp/campaign/enerevo/documents/enerevo_japan_outlook

また原発とも一部関連するが、電力会社が推進する「オール電化」には問題点が多い。CASAの『環境面からみたオール電化問題に関する提言』(2008年6月)が必読。

http://www.bnet.jp/casa/teigen/paper/080619all_denka_saisyuu.pdf

●格差社会 2006年頃から「格差社会」が流行語になったが、格差と貧困を同時に考える必要がある。格差というとき普通思い浮かべられるのは、経済格差(所得や資産の格差)であるが、健康格差(所得の低い人はうつになりやすい、肉体労働者は癌になりやすい[英国]、アフリカ系は乳児死亡率が高い[米国]など。『健康格差社会』近藤克則、医学書院2005年など参照)、環境格差(原発は「僻地」に立地される、公害の被害が生物的弱者に集中する、社会的弱者有害廃棄物や放射能汚染の影響がアフリカ系や先住民に大きい[米国]など)も重大である。

●カネミ油症 1968年に福岡、長崎など西日本一帯で発生した食品公害で、森永ヒ素ミルク事件(1955年)と並ぶ2大食品公害(化学性食中毒)。カネミライスオイルが原因食品。病因物質は当初PCBとされたが、1983年にむしろPCDF(ダイオキシン類)のほうが主要な病因物質であることがわかった。血中PCDF濃度が診定(認定)の基準に追加されたのはようやく2004年であり、皮膚症状を偏重する基準はそのままで、いまなお1万人を越える「未認定食中毒患者」がいる。さらに原告が最高裁敗訴を予想して取り下げたことから「国が被害者をいじめる」と言われる「仮払金返還問題」が発生したが、これは2007年の特例法でほぼ解決した。4大公害と違って教科書に出ないので、地元でも知らない人も多い。『カネミ油症 過去・現在・未来』カネミ油症被害者支援センター編(緑風出版2006年)などを参照。

●環境NGO/NPO  グリーンピース(国際組織)、地球の友(国際組織)、シエラクラブ、気候ネットワーク、熱帯林行動ネットワーク、原子力資料情報室など、多くの団体がある。戸田のウェブサイトの「リンク集」を参照されたい。

●環境思想(ecological thought) 人間と自然、人間と人間の持続可能で公正な関係を模索するのが、環境思想であり、したがってエコファシズムやエコ権威主義は環境思想ではないと私は思う(たとえば、ギャレット・ハーディンなどは入れたくない)。各時代に登場した代表的な環境思想家を列挙することから始めよう。

20世紀前半 ジョン・ミューア、アルド・レオポルド、モハンダス[マハトマ]・ガンジー、田中正造、南方熊楠、宮沢賢治

1960年代 レイチェル・カーソン、リン・ホワイト、ポール・エーリック、宇井純、石牟礼道子

1970年代 ドネラ&デニス・メドウズ、エルンスト・シューマッハー、マレイ・ブクチン、ロベルト・ユンク、エイモリー・ロビンズ、ヘレン・カルディコット、クリストファー・ストーン、ピーター・シンガー、ハーマン・デイリー、アンドレ・ゴルツ、ピエール・サミュエル、カークパトリック・セール、アルネ・ネス、ジェイムズ・ラブロック、エドワード・ゴールドスミス、高木仁三郎

1980年代 ビル・マッキベン、ヴァンダナ・シヴァ、トム・レーガン、ポール・エキンズ、ルドルフ・バーロ、ブライアン・トーカー、キャロリン・マーチャント、ペトラ・ケリー、フリッチョフ・カプラ、ジョナサン・ポリット

1990年代 ロデリック・ナッシュ、メアリ・メラー

2000年代 ジョエル・コヴェル

たとえばロベルト・ユンク(19131994)はドイツ出身のジャーナリスト、オーストリア緑の党の重鎮で、ドイツ語圏屈指の環境思想家(特に核の軍事利用と商業利用についての透徹した考察)であり、主著2冊の邦訳があるにもかかわらず、日本での認知度が低いのは残念である。ウィキペディアを見ると、ドイツ語版と英語版では当然詳述されているが、日本語版では項目そのものがない。ユンクの主著は、『千の太陽より明るく 原爆を造った科学者たち』(原著1956年、菊盛英夫訳、文藝春秋1958年、平凡社ライブラリー2000年)、『原子力帝国』(原著1977年、山口祐弘訳、アンヴィエル1979年、社会思想社現代教養文庫1989年)である。

●環境社会学(environmental sociology) 公害、環境破壊、環境改善などを社会的行為、社会集団、社会過程(紛争、協力、支配など)、社会構造、社会変動などの観点から研究する学問分野。戦前の日本の社会学は家族社会学と農村社会学が中心であった。戦後は都市社会学、産業社会学、逸脱行動の社会学、ジェンダーの社会学、労働の社会学、国際社会学、歴史社会学など様々な分野が登場した。環境社会学は1960年代に飯島伸子らの公害・薬害研究として始まるが、環境社会学という言葉や学会、教科書ができたのは19801990年代である。最近の教科書としては『環境社会学』嘉田由紀子(岩波書店2002年)、『環境社会学』鳥越皓之(東京大学出版会2004年)などがわかりやすい。嘉田は滋賀県知事(2008年現在)。社会学の教科書としては、『社会学』長谷川公一・浜日出夫・藤村正之・町村敬志(有斐閣2007年、環境社会学の章あり)、『社会学をつかむ』西澤晃彦・渋谷望(有斐閣2008年)などがわかりやすい。野村一夫の『社会学感覚』は「ソキウス」サイトで全文が公開されており、戸田のウェブサイトの「リンク集」やウィキペディアの「社会学」からリンクがある。

●環境人種差別(environmental racism) 米国で1980年代初頭から使われていることば。有害廃棄物処分場のアフリカ系、ヒスパニック系貧困層の多い地域の近隣への立地、ヒスパニック系農業労働者の農薬被害、先住民のウラン鉱山被害など、エスニック・マイノリティに環境被害が集中する状況をいう。

●環境正義(environmental justice) 人間と自然の関係から生じる受苦(公害病など)と受益(便利さなど)の分配が公平であること(分配的正義)、人間と自然の関係についての意思決定(鉱山開発などを行うか否か、どのような仕方で行うかなど)が民主的であること(手続き的正義)を求める運動(環境正義運動)や政策(環境正義政策)などが必要と思われる。公害の被害が社会的弱者(低所得層など)や生物的弱者(胎児、子ども、高齢者など)に集中すること(放射能汚染のように)、受益の少ない集団が多くの受苦を受けること(発展途上国は自動車台数が少ない割に交通事故死は多いなど)などの「環境不正義」がしばしば見られる。環境正義は、環境的公正とも言う。

●環境難民(environmental refugeeecological refugee) 環境破壊に伴う難民。小規模島嶼国への海面上昇の影響などがよく知られるが、発展途上国に限らない。先進国でも資源開発に伴う環境汚染で移住を余儀なくされる人がいる。環境難民の人数は増加傾向にあり、政治的難民(戦争や迫害を逃れる)の人数を超えたと言われる(Ecological Debtp.148)。

●9・11事件 2001年9月11日に米国のニューヨーク世界貿易センターとペンタゴンで発生し3000人以上の死者を出した事件。日本では「同時多発テロ」「米中枢同時多発テロ」などと呼ばれるが、事件の本質がテロ(多数説では100%アルカイダの犯行とされる)であるかどうかがまだ明らかでないので、中立的に「9・11事件」と呼ぶべきであろう。首謀者はオサマ・ビン・ラディンであるというのが多数説であるが、FBIのウェブサイトによればビン・ラディンは1998年テロ(ケニアとタンザニアの米国大使館へのテロ)の首謀者であり、9・11事件との関係は不明である。9・11事件の実行犯としては複数のアラブ人男性があげられている。米国政府の共犯を示唆する状況証拠が多数ある。したがって「首謀者不明、実行犯はおそらく複数のアラブ人男性、米国政府共犯の疑い」と要約される。今後の解明に待たねばならない。詳しくは、『9・11事件は謀略か』デヴィッド・レイ・グリフィン、きくちゆみ・戸田清訳(緑風出版、2007年)、『9・11事件の省察』木村朗編(凱風社、2007年)、『「WTC(世界貿易センター)ビル崩壊」の徹底究明』童子丸開(社会評論社2007年)などを参照。なおチリのアジェンデ政権が転覆された事件(チリ軍部に米国政府と企業が協力)は1973年9月11日に起こったので「もうひとつの9・11」と呼ばれる。

●共有地(コモンズ)の悲劇 米国の生物学者ギャレット・ハーディンが1968年に発表した論文のタイトル。共有牧草地に放牧する家畜の頭数を増やそうとする利己的な農民についての寓話。利益はすぐに得られ、個人に帰属するが、過放牧によるコストは長期的にあらわれ、みんなに分散するという点で、環境・資源問題(漁業の乱獲など)を考えるときのモデルとなる。しかし、本来の伝統的共有地はルールがあるので、これは共有地の悲劇というよりはむしろ「共有地の崩壊の悲劇」であろう。

●クルマ社会 自家用車とトラックに過度に依存する社会。20世紀以降の米国が典型。1920年代の米国西海岸では鉄道が発達していたが、GMをはじめとする自動車企業・石油企業が19301950年代に鉄道を買収して路線を廃止し、自動車の売上げを伸ばした(『クルマが鉄道を滅ぼした : ビッグスリーの犯罪』増補版、ブラッドフォード・スネル、戸田清他訳、緑風出版2006年、参照)。クルマ社会は石油浪費、大気汚染、交通事故の増加などをもたらす。この百年の世界の交通事故死累計は3000万人だという(Ecological Debtp.126)。自家用車とトラックを抑制し、公共交通(鉄道、路面電車、バス、船舶など)を充実させること(および自転車などの活用)が望まれる。なお飛行機は環境負荷が大きいので、航空輸送の過剰発展は疑問である。

●グローバル・アパルトヘイト グローバル・アパルトヘイトというのは、かつての南アフリカのアパルトヘイトのように「世界の人口の2割の富裕層が、世界の富の8割を独占しており、人口の8割を占める多数の人々が2割の富を分け合っている。富裕層が住む地域は基本的に『平和』であり、多数の貧困層が住む地域では犯罪、紛争が頻発する」というような状況のことである。「平和」な<平和圏>と紛争が多発する<紛争圏>はおおむね先進国と発展途上国に対応するが、先進国のなかにも壁と警備会社に守られた<平和圏>と、犯罪、暴力の頻発するスラム街のような<紛争圏>がある(君島)。書名にもなっている(Unravelling Global ApartheidTitus AlexanderPolity Press1996およびGlobal ApartheidMuhammed AsadiWriters Club Press2003の2冊は必読)。君島東彦は「地球社会の暴力」をグローバル・アパルトヘイト(構造的暴力としての南北格差)、パックス・アメリカーナ(米国の覇権に伴う諸問題)、そして9/11以後の対テロ戦争の3つに大別して説明した(『非武装のPKO NGO非暴力平和隊の理念と活動』君島東彦編著、明石書店、2008年)。

●グローバル化 経済、政治、人権、文化などの領域で国境を越える展開や統合が進展すること。マクドナルド、スターバックス、トヨタなどの世界展開、英語の世界語化、国際貿易の基軸通貨としてのドルの優位とユーロの台頭、国連人権条約や環境条約の進展などはいずれもグローバル化の例である。グローバル化自体は善でも悪でもない。いかなる状況でいかなるグローバル化が人権、民主主義、環境などの視点から見て望ましいかが、個別に判断されねばならない。食糧流通のグローバル化(食糧の自由貿易、欧米の農産物輸出補助金など)は、フードマイレージを増大させ(環境負荷)、第三世界の小農民を苦しめることが多い。多くの市民団体は「米国政府主導、多国籍企業主導の新自由主義的な経済のグローバル化」に反対しており、マスコミは(時に市民運動自身も)これを「反グローバル化」と呼ぶ。しかし「反グロ」という表現は誤解を招く。グローバル化に反対しているのではなく、ある種のグローバル化に反対し、別の種類のグローバル化を推奨しているからだ。「米国政府は経済のグローバル化に熱心だが、人権のグローバル化に消極的だ」(上村英明、2001年)。国連死刑廃止条約(1989)が世界標準であるから、死刑を存置する日米やイラン、中国などは孤立している。トルコはEU加盟を望むため死刑を廃止した。私は英語支配に反対する。エスペラントがヨーロッパ語だから中立でないと言う人には、文字、語彙、文法で英語、日本語、アラビア語から等距離にある言語を設計して見せてもらいたい。

●グローバル・コモンズ 大気、海洋、生物などの人類の共有資源・環境は、とりわけ先進国の過剰消費によって傷つけられてきた。オゾン層保護条約や気候変動枠組み条約、海洋投棄規制条約、生物多様性条約などもグローバル・コモンズを保護する試みの例である。

Global Commons Institute  http://www.gci.org.uk/

●軍産複合体  国家(政府、軍)と軍需産業・民間軍事会社の癒着構造

●原発震災 地震学者石橋克彦(1976年に東海地震説を発表。神戸大学教授)がつくった言葉。中越沖地震(2007年)での柏崎・刈羽原発被災が話題になったが、浜岡原発が東海大地震に見舞われたら、その百倍以上の惨事になるだろう。六ヶ所村再処理工場や高速増殖炉もんじゅなども活断層との関係で危険である。日本列島は地震の活動期と静穏期を交互に繰り返している。多くの原発がつくられたのは静穏期だが、1995年頃から活動期に入った。これからが正念場である。『原発震災-止めるのは私たち つぎつぎと暴かれる、国・電力会社のウソ』(反原発運動全国連絡会2008年)などを参照。反原発運動全国連絡会  http://www.hangenpatsu.net/ ニュージーランドが原発を持たないのは、人口が少ない(電力需要が小さい)というのもあるが、日本と同じような地震大国(活断層大国)というのもあるだろう(NHKスペシャル「活断層大地震の脅威」2008年9月5日)。地震大国日本に55基もの原発(世界の8分の1以上)があっていいのだろうか?

●原発被曝労働 原発の定期点検や補修における被曝労働は圧倒的に下請け労働者に集中し、社員(九州電力や三菱重工など)の被曝は少ない。被曝労働者は35万人を越え、原爆被爆者の人数を上回るようになった。原爆は「被爆」、原発や医療は「被曝」と書くが、原爆被爆のうち入市被爆(劣化ウラン被曝者の症状と似ている)はむしろ被曝に近い。1999年JCO臨界事故(原発でなく核燃料工場)での悲惨な急性症状は世間に衝撃を与えた。慢性症状では、白血病労災認定はまだ10人に満たず、アスベスト労災などと同様に欧米より捕捉率が低い(労災認定されるべき人が認定されていない)と思われる。被曝労働は、周辺住民の癌が増えた疑いとともに、「原発はクリーン」への反証である。『知られざる原発被曝労働』藤田祐幸(岩波ブックレット、1996年)、『敦賀湾原発銀座「悪性リンパ腫」多発地帯の恐怖』明石昇二郎(技術と人間1997年)などを参照。欧米では原子炉閉鎖後の乳児死亡率減少データもある(『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』田中優、合同出版、2005年、50頁)。

●公害 公害対策基本法(1967年)およびそれを引き継ぐ環境基本法(1993年)では、大気汚染、水質汚濁[日常用語では水質汚染]、土壌汚染、騒音、震動、悪臭、地盤沈下が公害とされる。何故か放射能は適用除外される(後述)。水俣病は水質汚濁を通じて生鮮食品が汚染されたので公害病であるが、カネミ油症は加工食品がいきなり汚染されたので、公害健康被害補償法の対象とならない。書名の「公害」は、『恐るべき公害』庄司光・宮本憲一(岩波新書1964年)などが早い。熊本水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息は4大公害病と言われる。

●公害輸出 先進国の企業活動によって発展途上国に環境汚染や自然破壊が生じること。有害廃棄物の越境移動に関するバーゼル条約(1989年採択、米国は2008年現在も未批准)などもそれへの対応である。なお、汚染物質を含む黄砂のように発展途上国から先進国へ越境する汚染もある。『日本の公害輸出と環境破壊』日本弁護士連合会公害対策・

環境保全委員会(日本評論社1991年)、『フィリピン援助と自力更生論:構造的暴力の克服』改訂新版 横山正樹(明石書店1994)、『環境的公正を求めて』戸田清(新曜社1994年)などを参照。

●公共圏 フランクフルト学派の社会学では、近代社会を機能本位の目的合理性と効率・競争を重視し、権力と貨幣によって制御される「システム」と、コミュニケイティブな合理性と相互了解を重視し、言葉などによって制御される「生活社会」に分けてとらえ、「システムが生活世界を植民地化している」(ハーバーマス)と認識する。「システム」は、行政機構(国家、官僚制)と経済市場(経済社会、資本制)に、「生活世界」は、私生活圏(私的領域、小家族制)と公共圏(市民社会、ディスクルス[討議]制)に大別される(『公共圏という名の社会空間』花田達朗、木鐸社1996年、171頁)。私見では、公的・共的(publiccommon)[A]か、私的(private)[B]か、という軸と、システム[C]か、生活世界[D]か、という軸の2つでわけたとき、ACが国家、ADが公共圏・市民社会、BCが市場経済、BDが家族である。大日本帝国憲法下の日本では、国家(特に軍部)と大企業が暴走して、戦争が続き、家族は国家に奉仕するものとされ、ジャーナリズムが国策に翼賛化し(特に戦時中)、市民社会による発言力や国家・企業への監視は弱かった。日本国憲法のもとでも、公共性の定義が国家に独占され、公害問題などの解決が異様に長引き(水俣病やカネミ油症のように)、無駄で環境破壊的な大型公共事業が止まらず(諫早湾干拓のように)、重要な政策も国家と大企業と一部学者[御用学者]が密室で決めて、議会や市民はあとで知らされる(原発推進のように)ことが少なくないと指摘されることが多い。公共圏を活性化する(公的事業の公共性について市民・住民が発言する、市民運動が活発化する、ジャーナリズムが国家・企業・専門家の行き過ぎをチェックする、対抗的な専門家の力を強めるなど)ことが、民主主義と環境保全のためには重要ではないかという議論がなされている。『環境運動と新しい公共圏』長谷川公一(有斐閣2003年)などを参照。

●構造的暴力(structural violence) 加害の意思がなくても社会の構造(制度や意志決定の仕組みなど)によって生命・健康・生活の質が損なわれることをいう。ヨハン・ガルトゥングが1969年に直接的暴力と対比して提示した概念。具体例としては、①世界銀行・国際通貨基金の構造調整プログラム(1980年代〜1990年代)による貧富の格差の拡大、乳幼児死亡率の増大、感染症の増加、②国連のイラク経済制裁(19902003年)による乳幼児・高齢者死亡率の増加、③煙草など有害商品の合法的販売による健康影響(煙草会社の目的は利潤追求であって、病気の生産ではない)、④水俣病、カネミ油症、原爆症などの厳しすぎる認定基準(水俣病の昭和52年判断条件など)による救済の遅れ、⑤貧富の格差を拡大する新自由主義的経済政策、⑥薬害事件などで問題となる情報管理の不十分さ(地下倉庫にあった薬害肝炎の「418人リスト」など)などがあげられる。

暴力とは、人為的に生命・健康・生活の質が損なわれることであるから、天災(自然災害)は暴力ではない。しかし社会構造、社会過程によって天災が増幅されることは構造的暴力である。たとえば200412月のスマトラ沖地震・インド洋大津波で20万人以上の死者が出た。インドネシアのアチェ州は被害がひどかった地域のひとつであるが、マングローブ林が豊かであれば被害はもっと少なかったであろう。マングローブ林が伐採されて、木炭が日本などに輸出された。伐採跡地にエビ養殖池が多くつくられた。米国人や日本人などがエビを大量に消費している。海岸部のマングローブ林の防災機能の低下が被害を拡大した。すなわち、発展途上国の木炭やエビを先進国に輸出する経済のグローバル化が天災を増幅したと言える(村井吉敬『エビと日本人 Ⅱ』岩波新書、2007年、参照)。

●効率と能率 効率と能率は混同されることが多い。効率とは投入(資源)あたりの産出(仕事)であり、効率の追求とはエネルギー節約の追求である。自動車の燃費の改善(燃料1リットルあたりの走行距離の増大)や発電所の熱効率の改善はその例である。能率とは時間あたりの産出であり、能率の追求とは時間節約の追求である。蒸気機関(蒸気機関車)よりも内燃機関(自動車)のほうが熱効率は良い。原子力発電所のすべてと火力発電所の大半において、発電タービンは蒸気機関である。内燃機関式の効率のよい発電所(横浜など)では、熱効率は4割を超える。熱出力300万キロワットの原発で電気出力100万キロワットであれば、熱効率は33%である(67%の廃熱が捨てられる)。火力発電におけるコジェネレーション(熱電併給)は廃熱の利用であり、効率の改善である。原発の熱電併給(たとえば温排水を利用した魚の養殖)は実現していない。原発は炭酸ガスを出さないが(その前段のウラン濃縮工場は、大量の炭酸ガスを出す)、大量の廃熱を出すので、熱汚染(海洋温暖化)の原因になる。柏崎刈羽の7基の原発では、7度高い「暖かいもうひとつの信濃川」ができる。大量輸送、高速輸送、大量生産、大量破壊などは能率追求の例である。ファストフードやコンビニ、新幹線やリニア新幹線(エネルギー効率は悪い)などの「便利さ追求」はたいてい「能率の思想」である。資源浪費に依存する「アメリカ的生活様式」は資源生産性、持続可能性、公平性(有限の地球での浪費と貧困)の観点から見直しが必要であろう。日本のように世界中から食べ物を買いあさると、フード・マイレージやエコロジカル・フットプリントが増大し、効率(資源生産性)はかえって低下する。スローフードやスローライフは能率の思想への異議申し立てである。ミヒャエル・エンデの『モモ』(1973年)は能率至上主義の思想(時間節約中毒)を風刺するファンタジーである。効率と能率の対比については、山田國廣『環境革命Ⅰ』(藤原書店、1994年)、山口幸夫『エントロピーと地球環境』(七つ森書館、2001年)などの説明がわかりやすい。和英辞典ではどちらもefficiencyのように思えてしまうが、とりあえず効率をthermal efficiency、能率をefficiencyと訳しておこう。

●御用学者 公害・環境問題に限らず、大企業や政府の暴走を擁護したり助長したりする学者。多くの人は水俣病事件の清浦雷作教授(東京工業大学)や原発問題の班目春樹教授(東京大学)などを思い浮かべるだろう。班目教授の知名度が上がったのは、映画『六ヶ所村ラプソディ』(鎌仲ひとみ監督、2006年)の功績のひとつである。

●自然エネルギー 再生可能エネルギー。ソーラー、風力、小規模水力(大型ダムは自然破壊的である)、バイオマス、潮汐、地熱など。

●持続可能な社会(sustainable society) 環境と調和した社会。人間と自然の関係においては、脱原発、化石燃料消費削減(低炭素社会)、自然エネルギー重視、資源・エネルギー消費削減、人口安定など、人間と人間の関係ではグローバルな貧困、格差是正などが少なくとも必要条件であろう。少なくとも今後1000年のスパンで考える必要がある(『縮小文明の展望』月尾嘉男、東京大学出版会2003年)。持続可能性(sustainability)の解説としては、『カサンドラのジレンマ』アラン・アトキソン、枝廣淳子監訳(PHP研究所2003年)がわかりやすい。

●社会的ジレンマ 個人が自分自身にとって合理的な選択をする(たとえば便利さを追求する)と、社会全体としては非合理なことになってしまう(たとえば資源浪費や環境汚染が進む)メカニズムを言う。社会的ジレンマ論は社会学、社会心理学の様々な分野で用いられるが、環境社会学ではごみ問題や合成洗剤による水質汚染など日常生活の分析で威力を発揮する。

●受益圏と受苦圏 公共事業や営利事業が行われるときに、経済的利益などを得る受益者の集まりを「受益圏」、公害などをこうむる被害者の集まりを「受苦圏」という。たとえば原発は大都市圏に建ててはいけないことになっているが(「動く原発」である原子力空母は大都市の近くにも入港するが)、電力を大量消費する大都市圏や大企業の幹部・大株主などが受益権、原発事故の影響をまっさきにこうむる過疎地住民、危険な労働を負担する下請け被曝労働者、核廃棄物の管理を強制される将来世代などが受苦圏である。環境社会学では産業公害の分析などで有用性を発揮する。

●消極的平和 戦争がないこと。

●新自由主義(ネオリベラリズム;ネオリベ) 1973年のチリの軍事クーデター(ピノチェト将軍)、その後のサッチャー政権、レーガン政権、中曽根政権、日本では特に小泉政権から顕著になった政策思想。ハイエク、ミルトン・フリードマン(いずれもノーベル記念経済学賞を受賞)の経済思想をベースとする。よくケインズ主義と対比されるが、米国ではレーガン以降も「軍事ケインズ主義」(常に戦争を想定して軍需産業への巨額の発注を継続する)が維持されたことを言うまでもない。レーガンやブッシュ(子)の軍拡はむしろ軍事ケインズ主義を強化したのであるが、同時に新自由主義的な「戦争の民営化」(民間軍事企業の活用、食料や建設の外注など)も同時に進行した。新自由主義的政策は規制緩和、民営化、自己責任(障害者自立支援法による福祉の応能負担化、生活保護の老齢加算、母子加算廃止もその例)、累進課税の緩和(金持ち減税)、市場原理、競争促進などを主張し、「小さな政府」と言いながら軍拡を伴うことが多い。「市場原理主義」という表現は誤解を招くかもしれない。「必要」なときにはためらわずに国家が介入するからである。医療、福祉、環境などで悪影響を及ぼすと指摘する人が多い。タクシーの需要が増えないのに増車で運転手の所得が下がったとか、長距離バスの参入増加で価格破壊が起こり、事故が増えたなどが指摘される。労働者派遣法の規制緩和などで非正規雇用、不安定就労が増え、貧富の格差が拡大し、2006年には「格差社会」が流行語になった。貯蓄ゼロ世帯が4分の1を占めるなど、貧困が改めて問題になっている。長時間労働、残業代ゼロの「名ばかり管理職(偽装管理職)」問題もこうした社会状況のもとで起こったが、マクドナルド店長の東京地裁での勝訴(2008年1月)は多少の歯止めになるかもしれない。19801990年代に世界銀行、国際通貨基金が行った構造調整プログラム(SAP)では、感染症が増え、乳児死亡率が上昇した。『顔のない国際機関: IMF・世界銀行』北沢洋子,村井吉敬編(学陽書房、1995年)、『悪夢のサイクル』内橋克人(文藝春秋2006年)、『新自由主義』デヴィッド・ハーヴェイ、渡辺治監訳、森田成也ほか訳(作品社、2007年)、『新自由主義の嘘』竹内章郎(岩波書店、2007年)、『新自由主義の犯罪 「属国ニッポン」経済版2』大門実紀史(新日本出版社、2007年)、『生きさせろ! : 難民化する若者たち』雨宮処凛(太田出版、2007年)、『もうガマンできない! 広がる貧困 人間らしい生活の再生を求めて』宇都宮健児・猪股正・湯浅誠編(明石書店、2007年)、『反貧困』湯浅誠(岩波新書、2008年)、『フランスジュネスの反乱』山本三春(大月書店2008年)、『軋む社会』本田由紀(双風舎2008年)などを参照。また、「反貧困ネットワーク」などのサイトを参照。略して「ネオリベ」ということも多い。日本や英米がネオリベに走るのに比べて、北欧などは福祉国家の堅持に努力している。新自由主義の説明としては、栗原康『G8サミット体制とはなにか』(以文社2008年)が一番わかりやすい。単なる「市場原理主義」ではなく、格差が拡大するので治安対策の強化が「必要」になり、グローバル企業の展開を支援するために武力行使が「必要」となる。カリフォルニア州の予算に占める比率では、1970年には教育31%、刑務所4%だったのに、2005年には教育12%、刑務所20%になったという(The Road to 9/11WealthEmpire and the Future of AmericaPeter Dale ScottUniversity of California Press2007p.xii)。日本の新自由主義政策(中曽根政権以降)は、財界の要望(長期蓄積能力活用型・高度専門能力活用型・雇用柔軟型に労働者を分けることを求める1995年の日経連『新時代の日本的経営』が最も有名)や米国政府の要望(『年次改革要望書』など)に応えて行われてきた。

●生活環境主義 環境社会学の項目で紹介した鳥越や嘉田らが1980年代に琵琶湖周辺での地域住民と水のかかわりの調査から提示した環境社会学や環境政策の方法論で、近代技術主義(近代技術に信頼をおく)や自然環境主義(自然環境の保護を最優先)を相対化し、当事者や居住者の認識を重視して、生活とのかかわりで持続可能な社会や身近な自然(里山など)の保全のあり方を考える。

●世界システム論  世界システム論は、米国の社会学者・歴史学者イマニュエル・ウォーラーステイン(1930年生まれ)が1970年代に提唱した理論である。マルクス経済学やフェルナン・ブローデルの歴史学の影響を受けている。各国を独立した単位として扱うのではなく、世界という視座から近代世界の歴史を考察する。世界システムは必ずしも地球全域を覆う必要はなく、一つの国・民族の枠を超えているという意味で「世界」システムであり、新大陸の「発見」以前にも存在した。中央・周辺・半周辺の三要素による分業であり、政治的統合を伴う「世界帝国」または政治的統合を伴わない「世界経済」の形態をとってきた。16世紀に欧州に資本主義の誕生とともに成立した「近代世界システム」は、世界帝国へ移行することなく政治的に分裂したまま存続している。近代世界システムの覇権国は19世紀の英国から20世紀の米国に移行し、現代世界(20世紀後半以降)はグローバル資本主義と「米国を盟主とする集合的帝国主義」によって構成される。異議申し立てとして出発したはずのソ連型社会主義は世界システムの一部を越えることなく、崩壊した。日本は近代世界システムの外部にあったが、江戸時代末に半周辺としてシステムに参入し(植民地化されなかったので「周辺」となることを免れた)、権威主義的な近代化(富国強兵)で中心に上昇する過程で多くの歪みをもたらし、敗戦によって半周辺に戻った。戦後は米国に従属しつつ、再び中心(経済大国)に上昇した。1968年頃から近代世界システムは危機の時代に入り、資源・環境危機、格差と貧困の問題などから、持続困難となっている。現代は、近代世界システムから次のシステムへの移行の時代(数十年にわたる)であると思われる。22世紀には成立しているはずの次の世界システムが、人権・平等・環境などの観点から見て、近代世界システムより良いものとなるのか、さらに悪いものとなるのか、それは私たちの世代の努力にかかっているであろう。ウォーラーステインの著作は、『史的システムとしての資本主義』(川北稔訳、岩波書店、1997年)をはじめとして邦訳も多い。

●石油ピーク[ピークオイル] 20世紀前半には米国が世界最大の産油国であった。シェル石油のキング・ハバートは1956年に、米国の石油産出量は1970年頃にピークに達してその後は減少すると予測して、嘲笑された。しかしその予測通りになった。2008年現在世界の石油ピークはすでに到来しているか、遅くとも2020年頃までには到来するとの予測が有力である。石油文明を揺るがす事態である。『石油ピークが来た』石井吉徳(日刊工業新聞社2007年)などを参照。

●積極的平和 戦争と構造的暴力(飢餓、貧困、格差、差別、環境破壊など)がないこと。

●戦争 戦争の基本的な必要条件は人口圧力と階級社会であろう。人口急増をもたらしたのは農業革命と産業革命である。人口圧力は資源争奪の争いを起こす要因になる。殺す、殺されるは誰もいやである。富と権力の格差の拡大、命令する人とされる人の関係の確立が戦争には必要である。現在の米国でも戦場に送られるのは主に貧乏人である。世界では古代文明(メソポタミア、エジプト、中国、インド)の成立とともに戦争が始まった。日本では縄文時代に戦争はなく、弥生時代に稲作とともに戦争が大陸から伝来した(『人はなぜ戦うのか』松木武彦、講談社2001年)。人類の歴史700万年(類人猿との分岐以降)、現生人類(ホモ・サピエンス)の歴史15万年と比べると、戦争の歴史は世界で約5000年、日本で約2000年であるから僅かである(戦争は本能ではない)。ヒト以外では、戦争類似行為(男集団同士の殺し合い)が見られるのはチンパンジーだけである。なお、本格的な自然破壊(大型動物の絶滅、農業による土壌劣化などに始まる)は現生人類以降である。

●ソーシャル・エコロジー アナーキズムの影響を受けた環境思想。マレイ・ブクチンが提唱。広い意味ではエコ社会主義に含まれる。欧米ではよくディープ・エコロジーとソーシャル・エコロジーが対比されるが、日本ではソーシャル・エコロジーの知名度が低い。ところで、グローバル正義運動(大企業・大国主導のグローバル化に反対する運動。「反グローバル運動」という言葉は誤解を招くので避けた方がよい)にもアナーキズムの影響は小さくない。

●大量破壊兵器(WMD) 国連人権小委員会は、1996年と1997年の決議で、代表的な大量破壊兵器として、核兵器、生物兵器、化学兵器(以上がABC兵器あるいはNBC兵器)、劣化ウラン兵器、クラスター爆弾、ナパーム弾、燃料気化爆弾をあげている。米国はこれらのすべてまたは大半を実戦で使用した実績がある。もちろん「平凡な爆弾」でも大量に使えば大量破壊兵器になることは言うまでもない。

http://www.bintjbeil.com/E/un/960904_du.html

http://prop1.org/2000/du/resource/000310un.htm

●脱原発 原発を減らし、なくしていくこと。日本では発電設備容量の2割、発電電力量の3割(九州電力では4割)を占めているので、数十年をかけて段階的に行う必要がある。22世紀には原発のない社会になっているであろう。六ヶ所再処理工場長は2008年に「千年先を考えて原子力を」と述べたが、千年後は、千年前(2008年は『源氏物語』千年である)よりも人口が少ないと予想されるので、電力需要も小さいであろう。1970年代前半の原発は老朽化[高経年化]がすすんでいるが、日本列島が地震の活動期に入ったこともあわせて考えると、大丈夫だろうか(『まるで原発などないかのように 地震列島、原発の真実』原発老朽化問題研究会編、現代書館2008年、参照)。

●煙草による放射能汚染 鉄鉱石や銅鉱石と違って、ウラン鉱石にはウランがわずかしか含まれていない。そのため100万kw原発を1年間運転するためには200万トンもの鉱物を処理しなければならない。海水に含まれるウランの量はウラン鉱山より多いが、濃度が薄いので採算がとれない。リン鉱石にはウランが比較的多く含まれる。煙草はリン酸肥料を大量消費する作物であり、煙草煙にはウラン238の崩壊産物(娘核種)であるポロニウム210が含まれる。ポロニウム210は喫煙者の肺ガン、喉頭癌の原因のひとつである。ポロニウム210はまた、ロシアの元情報将校リトビネンコが暗殺されたときの凶器としても話題になった。ポロニウムという名称は、キュリー夫人の母国ポーランドにちなんでいる。WHOや日米中厚生官庁などの推定によれば、喫煙関連疾患による年間死者は世界で約500万人、中国で約100万人、米国で約45万人、日本で約11万人である。飢餓や煙草(構造的暴力)で死ぬ人は戦争・凶悪犯罪(直接的暴力)で死ぬ人より多い。有機栽培煙草なら良いと言う人がいるが、ポロニウム210、ダイオキシン、ニトロソアミンなどの問題は解決されても、有害性の半分以上は残るだろう。3大煙草会社(フィリップモリス、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ、JT)の力が強いので、有機煙草のシェアは僅少(自己満足)にとどまるだろう。米国厚生省が1980年代から指摘しているように煙草は麻薬である。精神医学では喫煙習慣をニコチン依存症と言う。麻薬としての煙草は、アヘンやコカインよりましだが、大麻やマリファナより悪質だろう。

●ダブルスタンダード(double standard) 二重基準。たとえば、原発は危険なので人口の多い地域に設置できない(過疎地差別)。玄海町には設置できるが、隣の唐津市には設置できないし、ましてや佐世保市にはできない。ところが原発より危険な米海軍の原子力潜水艦、原子力空母が佐世保、横須賀に寄港することは許される。日本政府は米国政府の要望に迎合する方針だからである。原発は原子炉に低濃縮ウランを装荷し、原潜・空母は原子炉に高濃縮ウランを装荷する。別の例をあげよう。米国政府は親米国家の核兵器を容認するが(イスラエル、インド)、反米国家の核兵器は容認しないし(イラン、北朝鮮)、地域大国でない親米国家に対しても厳しい(パキスタン)。また、2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決以降も環境省が昭和52年判断条件を固持しているので、「司法と行政の二重基準」がいつまでも放置されている。

●直接的暴力 戦争、殺人、強姦、拷問のように、加害の意志をもつ行為によって生命・健康・生活の質が損なわれることをいう。

●低炭素社会 地球温暖化をおさえるために炭酸ガスの排出(化石燃料の消費)をおさえた社会。環境省の想定では原発推進が前提となっている。他方、グリーンピース・ジャパンは2050年頃までの脱原発を、東京大学の山本良一教授は2070年頃までの脱原発を想定している。つまりいずれも22世紀は原発のない社会だと考えている(『温暖化地獄 脱出のシナリオ』山本良一、ダイヤモンド社2007年、グリーンピースについては前掲2008年レポート)。

●ディープ・エコロジー 人間中心主義の克服を強調する環境思想。アルネ・ネスが提唱。

●デジタル公害 携帯電話など電子機器による環境問題(基地局の電磁波問題やパソコン廃棄物の有害物質など)、健康問題(電磁波の健康影響など)、社会問題の総称。『デジタル公害』懸樋哲夫(緑風出版2008年)がわかりやすい。

●NIMBY(Not in my backyard:ニンビー;「自分の裏庭[近所]につくられるのはいやだ」) 米国でできた言葉。いわゆる迷惑施設(ごみ焼却炉、最終処分場、原発など)に反発する地域住民の意識や行動を言う。日本では人口密集地に原発を立地してはいけないことになっており、「東京に原発を」は大都市の地域エゴを皮肉った警句である。『NIMBYシンドローム考:迷惑施設の政治と経済』清水修二(東京新聞出版局1999年)などを参照。NIABY(Not in anybody’s backyard:「どこにもつくるな」)という言葉もある。

●農産物輸出補助金 欧米諸国は補助金によって安くした農産物によって発展途上国の市場に進出し、現地の小農民を困らせる。エルサルバドルでは小規模コメ農家が多数離農したが、自給率の再上昇は困難で、食料高騰のなか農村部で飢餓が広がっている。鈴木宣弘東大教授はこうした欧米の政策を「攻撃的な農業保護」と呼んだ(NHKスペシャル「世界同時食料危機①」20081017日)。

●バイオ燃料 バイオエタノールやバイオディーゼルで走る車が増えている。穀物が食糧・飼料から燃料へ流れ「8億人のクルマが20億人の食糧を奪う」などと言われる。カーボンニュートラルなので地球温暖化対策になるが、日本がインドネシアやマレーシアなどでアブラヤシを開発輸入したら輸送による環境負荷が問題になるだろう。Stefan Maul(高名なエスペランチスト)は、「2006年には米国のトウモロコシの11%が燃料用だったが2007年には20%になり、2008年には31%になる見通しだ。中世には穀物の3分の1が燃料用[輸送機関である馬の飼料]だったが……」と述べた(Monatomarto 2007p.7)。「新しい中世」が来るのだろうか。食糧と競合しないバイオマス資源を燃料にすべきだ。また、石油大量消費をバイオ燃料大量消費に置き換えるのは無理だろう。エネルギー浪費構造の見直しが必要である。NGOの政策提言として、「持続可能性に配慮した輸送用バイオ燃料利用に関する共同提言」(FoE Japanほか、2007年)が出たので参照されたい。http://www.foejapan.org/forest/doc/doc_recmndbiofuel.pdf  『バイオ燃料:畑でつくるエネルギー』天笠啓祐(コモンズ2007年)および同題のアジア太平洋資料センター(PARC)ビデオを参照。なお、エネルギー問題全般の入門書としては、『エネルギー危機からの脱出』枝廣淳子(ソフトバンククリエイティブ2008年)、『エネルギーと環境の話をしよう』西尾漠(七つ森書館2008年)がわかりやすい。

●バイオパイラシー(biopiracy) 先進国の大企業が発展途上国の生物資源を安価もしくは無料で入手し、加工で特許などの付加価値をつけて途上国に高価で売りつけること。『バイオパイラシー : グローバル化による生命と文化の略奪』ヴァンダナ・シヴァ、松本丈二訳(緑風出版2002年)などを参照。

●被害構造論 飯島伸子がスモン薬害などの研究から、被害補償は健康被害(病気そのもの)に限定されることなく、生活全般(労働や家事、人間関係、生活設計、生活水準、家庭生活、地域社会、患者差別など)に公害・薬害などが及ぼす影響の構造を、聞き取りなどを通じて解明すべきだとして提唱した考え方。『環境社会学』飯島伸子編(有斐閣1993年)第4章などを参照。もちろん被害構造だけでなく加害構造(経済成長中心主義、企業城下町における力関係、審議会のあり方、基地公害の背景にある対米従属、国際社会における先進国・大企業の過大な影響力など)の分析も重要である。

●フード・マイレージ 食糧を輸入するときの重量と輸送距離を掛け合わせたもの。日本は世界中から大量の食糧を輸入しているのでフード・マイレージが大きく、輸送に伴う環境負荷・資源消費も大きい。『フード・マイレージ あなたの食が地球を変える』中田哲也(日本評論社2007年)などを参照。

●フリースタイル分娩  近代医学の産婦人科では、17世紀フランスに始まる仰臥位分娩(分娩台の上で仰向け)が支配的である。これは重力に逆らうので必ずしも合理的ではないと、産婦人科医の大野明子は自らの出産体験もふまえて指摘し、小児科医のロバート・メンデルソン(米国人男性、故人)も同意見であった。ミシェル・オダン(産科医、フランス人男性)の「水中出産」のような古典的な例もあるが、最近日本の産科医院でも「フリースタイル分娩[フリースタイル出産]」を取り入れるところが増えている。立ち産、座産(しゃがみ姿勢)、四つんばいなど、妊婦が産みやすい姿勢で分娩するよう介助することである。開業助産師の場合はフリースタイル分娩が普通のようだ。欧州では伝統的には分娩椅子だった。日本は座産が多かった。歴史的経緯については、『環境学と平和学』戸田清(新泉社2003年)4章3節、『お産椅子への旅:ものと身体の歴史人類学』長谷川まゆ帆(岩波書店2004年)、『子どもを産む』吉村典子(岩波新書1992年)などを参照。『分娩台よ、さようなら』大野明子(メディカ出版1999年)は必読。フリースタイル分娩の現状については、明日香医院(産科)、バースハーモニー(助産院)などのウェブサイトを参照。親愛産婦人科のウェブサイトでは「立位」「あおむけ」「横向き」「四つんばい」での「赤ちゃんの通る道」を図解しており、大変わかりやすい。

明日香医院(東京、大野明子医師)  http://www.bh-asuka.jp/

バースハーモニー(横浜、斉藤純子助産師)  http://www.birth-harmony.com/

親愛産婦人科(兵庫県姫路市)産科、助産師・看護師より、フリースタイル分娩

   http://www.sinai.gr.jp/sanka/freestyle_bunben.html

産婦人科ナビ フリースタイル出産 http://www.sanfujinka-navi.com/link-freestyle.htm

●プルトニウム・ロンダリング マネーローンダリング(money laundering 不正資金の合法化、不正資金浄化、資金洗浄。不正・違法な手段で手に入れた金をある金融機関に預け入れて、そこから他の金融機関へ送金することにより出所を隠すこと)をもじって、藤田祐幸(物理学)は、高速増殖炉が原子炉級プルトニウムを核燃料として消費しつつ、核兵器級プルトニウムを大量生産することをプルトニウム・ロンダリングと呼んだ。

●文化的暴力 直接的暴力や構造的暴力を正当化する言説(「学問」「政府見解」など)。1980年代にガルトゥングが第三の暴力概念として提示した。ナチスの反ユダヤ主義、新自由主義政策を正当化する新古典派近代経済学(特にハイエク、フリードマンなど)、米国政府のブッシュ・ドクトリン(先制攻撃、予防戦争を正当化)、煙草の害から目をそらす言説(煙草無害論、煙草有益論、禁煙ファシズム論など)、劣化ウラン兵器は通常兵器であるという主張、イラク経済制裁(当時)は(特に子供たちが)かわいそうだが仕方ないという言説、などが代表的なものであろう。

●放射能汚染の所管  環境基本法(1993年制定)には「第13条(放射性物質による大気の汚染等の防止) 放射性物質による大気の汚染、水質の汚濁及び土壌の汚染の防止のための措置については、原子力基本法 (昭和三十年法律第百八十六号)その他の関係法律で定めるところによる。」という規定がある。これは公害基本法(1967年)から引き継がれたもので、日本の環境省は環境汚染を所管するが放射能汚染を所管できない。欧米などと違うところである。循環型社会形成推進基本法(2000年)の第2条(定義)にも「廃棄物」は「放射性物質及びこれによって汚染された物を除く」とある。廃棄物処理法清掃法(1970年)の第2条(定義)の「廃棄物」も同様である。環境影響評価法(環境アセスメント法、1997年)の第52条(適用除外等) も「この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染、水質の汚濁(水質以外の水の状態又は水底の底質が悪化することを含む。)及び土壌の汚染については、適用しない。」としている。このような適用除外があるのは、放射能汚染を所管するのが文部科学省および経済産業省(旧称では科学技術庁と通産省)だからである。原発の環境アセスメントでは、環境省所管のアセスは放射能を評価できないが、経済産業省所管のアセスでは放射能を評価できる。しかし経済産業省は原発の推進官庁なので、規制と推進の利益相反(conflict of interests)があろう。法学者や弁護士は、日本の環境法には環境基本法体系と原子力基本法体系があると指摘する(『環境法入門』吉村良一,水野武夫編、法律文化社1999年)。厳格な縦割り行政の例としては他に、野生生物がある。環境省は日本列島の野生生物を所管するが、海洋生物を所管できない。それでクジラ類は水産庁のレッドリスト(絶滅のおそれある生物のリスト)に出ている。しかしジュゴンは2007年に環境省のレッドリストにも掲載された。

●暴力 人為的に生命・健康・生活の質などが侵害されることを暴力という。加害の主体と意志が明確なのが直接的暴力(戦争、殺人、強姦など)、社会構造がもたらすのが構造的暴力(間接的暴力ともいう。格差、貧困、飢餓、環境破壊など)、暴力を正当化する言説などが文化的暴力である。したがって老衰死や自然災害は暴力ではない。ただし自然災害の影響が社会構造(格差、不平等、防災対策の手抜き、防風林の伐採など)によって増幅される場合は、自然災害と構造的暴力の複合現象である。また自然災害の混乱のなかで殺人や略奪などが発生すれば、自然災害と直接的暴力の複合現象(たとえば関東大震災後の朝鮮人・中国人・社会主義者虐殺)である。ヨハン・ガルトゥングは、平和の反対は戦争ではなく、「平和の反対は暴力(その頂点が戦争)である」と1969年に指摘した。戦争の不在を消極的平和、戦争と構造的暴力の不在を積極的平和という。

●ボノボ(bonobo) ピグミーチンパンジーとも言う。絶滅危惧種。コンゴ民主共和国に住む。チンパンジー(コモンチンパンジー)と別種であるとわかったのは1929年。人類との共通祖先と分岐したあとで、チンパンジーとボノボは分岐した。ボノボはチンパンジーよりほっそりしているが、小さくはない。男性優位で粗暴なヒトやチンパンジーと違って、ボノボは女性の地位が高く温厚である。知性の面でヒトが万物の霊長なら、道徳性の面ではボノボではないか。ボノボは1万人くらいしか残っていないようだ(チンパンジー10万人、ヒト66億人)。鏡のテストに合格する動物はヒト、チンパンジー、オランウータン、イルカ、シャチ、アジアゾウだという。サル目(霊長目)のヒト上科は現在、ヒト科とテナガザル科(テナガザル各種)の二科に分けられている。ヒト科には、ヒト、絶滅人類(ネアンデルタール人、北京原人、猿人など)、大型類人猿(チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン)が入れられる。

●緑の党 環境政策に力点をおく政党。197090年代にドイツをはじめとする欧州諸国に広がった。大陸欧州諸国や欧州議会では共産党や緑の党の勢力がかなり強く、国会議席などを持っているが、米国では保守二大政党(共和党、民主党)の影で劣勢である。米大統領選には緑の党からラルフ・ネーダーが出馬した。英国の状況も米国に近い。ドイツ緑の党は1983年に連邦議会進出、1998年〜2005年には社会民主党と連立政権を組み、脱原発・風力発電・炭酸ガス削減などに力を入れた。日本には緑の党はまだない。

●水俣病 チッソの水俣工場(熊本県)から有機水銀の排出が始まったのは1932年頃であり、海の食物連鎖を通じて生物濃縮が起こり、1941年頃から人、魚、鳥、猫などに水俣病(メチル水銀による化学性食中毒)が起こったとみられる。水俣病の公式発見は1956年、水俣湾の魚介類が原因食品とわかったのは1957年、有機水銀が病因物質とわかったのは1959年、政府が公害病と認めたのはようやく1968年である。1965年には新潟水俣病(原因企業は昭和電工)が発見された。食中毒としての水俣病の他に、胎盤経由の胎児性水俣病がある。1971年(大石武一環境庁長官時代)の認定基準は適切であったが、1977年(石原慎太郎長官時代)に改悪された(昭和52年判断条件)。2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決にもかかわらず、環境省は2008年現在も昭和52年判断条件の見直しを頑なに拒否している。「環境学の専門家」のなかにも、昭和52年判断条件見直しの必要性を理解していない人は少なくない。いまなお3万人を越える「未認定食中毒患者」がいる。水俣病については、『医学者は公害事件で何をしてきたのか』津田敏秀(岩波書店2004年)、『水俣病事件四十年』宮澤信雄(葦書房1997年)、『水俣病事件と認定制度』宮澤信雄(熊本日日新聞社2007年)、『水俣への回帰』原田正純(日本評論社2007年)などが重要文献である。

●民間軍事会社(PMC:Private Military Company) 軍需産業の仕事と一部重なるが、基本的には20世紀に始まり、湾岸戦争以降の戦争の民営化(軍の仕事の一部の民間委託)に伴って興隆した業種(米、英、南アフリカなど)。ブッシュ政権のチェイニー副大統領がCEOを勤めていた石油施設関連企業ハリバートン社(及び子会社KBR)が米軍の給食費、洗濯費、給水などをたびたび水増し請求や手抜き作業(その過程で細菌汚染などにより社員や米軍人の生命・健康も害した)したこと、米海軍特殊部隊の将校が退役後創設したブラックウォーター社(警備など担当)が2007年9月にバグダッドで誤射により民間人17人を殺害したことなどが、大きなスキャンダルになった(それぞれ朝日新聞20031220日と20071012日に特集記事)。アフガニスタンのカルザイ大統領の警備や、アブグレイブ刑務所の尋問(イラク人虐待事件で話題)もPMCが関与している(していた)。政府からの天下りも多い。『対テロ戦争株式会社』ソロモン・ヒューズ、松本剛史訳(河出書房新社2008年)、『戦争サービス業』ロルフ・ユッセラー、下村由一訳(日本経済評論2008年)などを参照。IRAQ for Sale 戦争成金たち』(ロバート・グリーンウォルド監督、2006年・アメリカ、カラー、75分、DVD、日本語版は人民新聞社[大阪])は必見。

●民衆法廷 戦争犯罪などの国家犯罪(とりわけ超大国の犯罪)について、既存の権力法廷(国家法廷、国連法廷)が放置するときに、犯罪事実に既存の国際法や国内法(侵略の罪、人道に対する罪、戦争犯罪、ジェノサイド禁止条約、拷問禁止条約など)を適用するとどのような結論になるかを、法律家(弁護士、法学者など)や科学者(専門家証人)、市民が裁判形式で討議する平和運動・人権運動の一形態。既存の権力法廷の関係者がボタンティア参加することもある。被告の政府高官はふつう欠席するので、アミカス・キュリエ(法廷助言者)が被告を代弁する。ラッセル法廷(ベトナム戦争)、クラーク法廷(湾岸戦争)、女性国際戦犯法廷、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷、イラク国際戦犯民衆法廷、原爆投下を裁く国際民衆法廷などがある。民衆法廷にはもちろん強制力はないが、権力法廷も強制力があるとは限らない。たとえば国際司法裁判所で米国政府はニカラグア政府に敗訴したが(1986年)、判決に従わなかった。『民衆法廷入門』前田朗(耕文社2007年)などを参照。なお、米国の高名な政治哲学者ジョン・ロールズも、東京大空襲、広島・長崎原爆投下、ドレスデン大空襲などは連合国の戦争犯罪であったと指摘した。

●6つのR 

リフューズ(refuse:拒否する)要らないものを作らない・使わない。兵器やアヘン・煙草など。

リデュース(reduce:減らす)過剰に使わない。自動車・航空機など。

リユース(reuse:再使用する)何度も使う。リターナブル瓶、紙の裏面利用、マイ箸など。

レンタル(rental:借りる)自動車、自転車、家電製品など

リペア(repair:修理する)自動車、自転車など。

リサイクル(recycle:資源再生利用)古紙やアルミなど。

日本では優先順位の一番低い(環境負荷の大きい)リサイクルがあたかも循環型社会の代名詞のようになっている。

●予防原則(precautionary principle) 有害性が完全に証明されてからでは手遅れになるので、早めに手を打とうという考え方。有害物質を安全と誤認すれば(見逃し)健康被害が生じるが、安全な物質を有害と誤認すれば(早とちり)規制された企業に経済的損失が生じる。お金より命が大事である。こうしたことから1970年代の欧州でこの考え方が広がってきた。『レイト・レッスンズ : 14の事例から学ぶ予防原則 : 欧州環境庁環境レポート2001』欧州環境庁編、松崎早苗監訳(七つ森書館2005年、必読)などを参照。他方、刑事裁判では真犯人の見逃し(見逃し)よりも無実の人に刑を科す(早とちり)方が重大であるとして(冤罪刑死の場合を想像せよ)、推定無罪原則(合理的な疑いの余地がない程度まで有罪と立証されるまでは無罪と推定する)が掲げられてきた。推定無罪原則は、フランス人権宣言(1789年)9条で初めて定式化され、世界人権宣言(1948年)11条でも明文化されている。私は9条と聞くと日本国憲法と仏人権宣言を想起する。日本では予防原則を軽視し(有害物質の規制が後手に回る)、推定有罪が横行する(刑事裁判の異様に高い有罪率、逮捕後の犯人視報道など)ことはないであろうか。

●予防戦争(preventive war) 脅威が存在するときの「先制攻撃」と違って、脅威の「予想」にもとづいて行う戦争。ブッシュ・ドクトリン(2002年)で正当化されたと言われる。もちろん国際法違反であろう。

●リスク社会 チェルノブイリ原発事故(1986年)をきっかけにドイツの社会学者ウーリッヒ・ベックがつくった言葉。富や権力の配分に加えて、リスクの配分のあり方も問われるようになる社会をいう。なお地球社会のリスクを年間推定死亡者数で見た場合、飢餓・貧困(1000万人以上。毎日3万人の子供が死亡)、煙草病(500万人)、エイズ(300万人)、環境汚染(数百万人)、戦争・テロ(数十万人)、交通事故(数十万人)、遺伝子組み換え作物(あるとしても僅少)というような順番になるであろう。

●レジーム・チェンジ(体制転換・政権転覆) 第二次大戦後の米国は、たびたび直接(軍事侵攻により)あるいは間接(軍事クーデター支援などにより)に外国政府を転覆した。代表的な例として、下記がある。

1953年 イラン・モサデク政権(アイゼンハワー政権が英国とともにクーデターを支援)

1954年 グアテマラ・アルベンス政権(アイゼンハワー政権がクーデターを支援)

1973年 チリ・アジェンデ政権(ニクソン政権がピノチェトらのクーデターを支援)。もうひとつの9月11日。

1965年 インドネシア・スカルノ政権(ジョンソン政権がスハルトらのクーデターを支援)

1983年 グレナダ・革命軍事評議会(レーガン政権が侵攻)

1989年 パナマ・ノリエガ政権(ブッシュ父政権が侵攻)

1991年 ハイチ・アリスティド政権発足後まもなく(ブッシュ父政権がクーデターを支援)

2001年 アフガニスタン・タリバン政権(ブッシュ子政権が侵攻。現在はカルザイ親米政権)

2003年 イラク・フセイン政権(ブッシュ子政権が侵攻。現在はアラウィ親米政権)

レジーム・チェンジの失敗例として、キューバ(ケネディ・ジョンソン政権時代)とニカラグア(レーガン政権時代)がある。朝鮮戦争(トルーマン政権)とベトナム戦争(ケネディ・ジョンソン・ニクソン政権時代)はレジーム・チェンジの試みというよりも親米政権の支援であった。キューバの「反米政権」は現在も存続しており、有機農業・医療などで国際的に高い評価を得ている。ニカラグアの「反米政権」(サンディニスタ政権)は米国支援の反政府ゲリラとの内戦に苦慮したがもちこたえ、1986年には国際司法裁判所(ICJ)で米国に勝訴したが、1990年の選挙に敗れて保守政権にゆずった。2007年にオルテガは大統領に返り咲いたが、新自由主義政策を強要されつつ、米国の圧力に抵抗している。レジーム・チェンジについては、ノーム・チョムスキー(岡崎玲子訳)『すばらしきアメリカ帝国』(集英社2008年)第3章などを参照。上記9件のうち8件はたまたま共和党政権である(末尾の数字に3が多いのも偶然である)。では民主党は温厚なのか? 史上有数の国家犯罪である原爆投下が民主党トルーマン政権によるものであったことを忘れてはいけない。また、共和党ブッシュ父政権が使い始めた劣化ウラン兵器(湾岸戦争)は、民主党クリントン政権も使った(ユーゴ空爆)。他方、ベトナムの侵攻(1978年)によってカンボジアのポル・ポト政権が崩壊したこと(1979年)もレジーム・チェンジの一例であるが、フランソワ・ポンショー神父の『カンボジア・ゼロ年』(1977年、邦訳は北畠霞訳、連合出版1979年)などによってクメール・ルージュ(ポル・ポト派「共産党」)の虐殺行為は早くから知られていたので、人道的に利益の大きい介入であったとの指摘がある。

●劣化ウラン兵器(depleted uranium weaponuranium weapon) 核兵器(原爆、水爆)と違って爆風や熱は通常兵器並みであるが、放射能汚染をもたらす兵器。タングスタンや鉛で強化した砲弾より貫通力が大きく安価である。燃焼したウランの粉末の吸入により内部被曝が起こると思われる。主に米軍が実戦使用してきた(イラクで1991年と2003年、旧ユーゴスラビアで1995年と1999年、アフガニスタンで2001年)。米軍による使用量は、放射性原子の数で単純比較すると広島・長崎の1万倍になる(被害が1万倍という意味ではない)。戦時における劣化ウランは直接的暴力(建物や戦車の破壊効率を高め、人を殺傷する)であるが、戦後永久に残る影響(ウラン238は半減期45億年)は構造的暴力である(小児白血病をつくるために使ったのではないが、未必の故意[白血病の多発は十分に予想できた]であるとは言える)。劣化ウランはウラン濃縮過程の副産物(廃棄物)であるが、減損ウラン(使用済み核燃料から抽出)を混ぜて「より危険な劣化ウラン」(プルトニウム混じり)がつくられることもある。クラスター爆弾と同様に、禁止条約を求める動きが広がっている。劣化ウランの非軍事利用として、飛行機の翼のおもり(禁止された)、高速増殖炉のブランケット燃料(もんじゅは2010年運転再開予定)などがある。

人名

ジョン・ピルジャー 英国のジャーナリスト。オーストラリア出身。人権問題・人道問題の調査報道で卓越している。http://www.johnpilger.com/page.asp?partid=1

邦訳に『世界の新しい支配者たち : 欺瞞と暴力の現場から』ジョン・ピルジャー、井上礼子訳(岩波書店、2004年)がある。近著はFreedom Next TimeResisting the EmpireJohn PilgerNew YorkNation Books2007

ノーム・チョムスキー 米国の言語学者。政治学者。著書多数。邦訳多数。

ヨハン・ガルトゥング ノルウェーの平和学者。1930年生まれ。構造的暴力の概念を提示。著書多数。邦訳多数。

トップページに戻る

 

inserted by FC2 system