戸田清 『ナガサキコラムカフェAGASA』(山猫工房出版局、長崎市銅座町)掲載原稿

 

1.「煙草問題を考える」『ナガサキコラムカフェAGASA』3号(2006年6月)5657頁  

 

 煙草問題は、一番身近な環境問題のひとつである。

 健康増進法(二〇〇二年制定、二〇〇三年施行)では、飲食店など公共の場所の管理者に受動喫煙の防止義務を課している。その条文は次の通りである。「第二五条 学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない。」身近なところで全面禁煙は牛丼の吉野家くらいだろうか。マクドナルド、スターバックスなどは分煙、リンガーハットは禁煙の店舗と分煙の店舗がある。

 国際的にはWHOの煙草規制枠組み条約(FCTC、二〇〇三年採択、日本は二〇〇四年に批准、二〇〇五年発効)が広告の規制、警告表示の規制、自動販売機の規制などについて定めている。

 ところがたばこ事業法(一九八四年制定)の第一条(目的)はこの法律は、たばこ専売制度の廃止に伴い、製造たばこに係る租税が財政収入において占める地位等にかんがみ、製造たばこの原料用としての国内産の葉たばこの生産及び買入れ並びに製造たばこの製造及び販売の事業等に関し所要の調整を行うことにより、我が国たばこ産業の健全な発展を図り、もつて財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資することを目的とする。」となっている。「たばこ産業の健全な発展」が国策であるとは実に恥ずかしい。

 煙草には約六〇種類の発癌物質、約二〇〇種類の有害物質が含まれている。煙草が原因で死亡する日本人の数は一年間で一一万四〇〇〇人と推計されており、これは毎日ジャンボジェット機が一機ずつ落ちているのと同じになる。夫が一日二〇本以上の喫煙者の場合、妻が肺癌になる可能性は約二倍になるとの調査もあり、受動喫煙が原因とされる死亡者は、年間一万九〇〇〇人から三万二〇〇〇人と推計されている(中田ゆり、日本対がん協会シンポジウムでの講演、朝日新聞二〇〇五年一一月二〇日)。煙草病(喫煙関連疾患)については、禁煙ジャーナル編『たばこ産業を裁く』(実践社、二〇〇〇年)、渡辺文学『「たばこ病」読本』(緑風出版、二〇〇〇年)、加濃正人編『タバコ病辞典』(実践社、二〇〇四年)などが参考になるだろう。

 世界では煙草で死ぬ人は年間約五〇〇万人とWHOによって推計されている。飢餓関連の一〇〇〇万人、エイズの三〇〇万人、結核の二〇〇万人、マラリアの一〇〇万人、小型武器の五〇万人と比べてみると、煙草が「静かな戦争」を引き起こしており、煙草業界が「軍需産業と並ぶ死の商人」であることが実感できるだろう(『現代の死の商人』ヒューワット、大和久泰太郎訳、保健同人社、一九九三年、『悪魔のマーケティング』ASH編、津田敏秀ほか訳、日経BP社、二〇〇五年、参照)。世界の三大煙草会社はフィリップ・モリス、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ、日本たばこ産業(JT)であるとのことだから、私たち日本人の責任も大きい(The Elite ConsensusGeorge DraffanThe Apex Press2003p.150)。

 約六〇種類の発癌物質のうちのひとつはポロニウム210であり、これはアルファ線を出す放射性物質(半減期は短くて、一三八日)である。長崎原爆のプルトニウム239(半減期二四〇〇〇年)と同じ質量あたりで単純比較すると、六万倍も危険だということになってしまう。ウランは地球上に広く薄く分布しており、ウラン鉱石にさえわずかしか含まれていない。しかしその他の鉱物にも比較的多く含まれており、リン鉱石はウラン鉱石に次いでウランを多く含むもののひとつである。煙草はリン酸肥料を多く消費する作物だ。それでウランが煙草に入ってしまう。半減期の長いウランがごく微量なら問題は少ないが、その崩壊産物であるポロニウムが問題となるのである。核兵器、劣化ウラン兵器、原発に反対しているのに喫煙する人をしばしば見かけるが、論理的に整合しないであろう。

 一番面白いエピソードは第二次大戦中の政治指導者の生活習慣である。連合国のローズヴェルト、チャーチル、スターリンはすべて喫煙者であった。枢軸側のヒトラー、ムッソリーニ、フランコはすべて非喫煙者であった(『健康帝国ナチス』プロクター、宮崎尊訳、草思社、二〇〇三年)。「昔のファシストよりさらに遅れている」ということになれば恥ずかしいであろう。

 

2.「霊長類と暴力」『ナガサキコラムカフェAGASA』4号(200611月)4445

 

戦争や殺人や強姦は人間の「本能」に根ざしているのだろうか? 

 昆虫学者エドワード・ウィルソンは、人間の生得的な攻撃性を示唆して、「戦争という最も高度に組織された形態をとる攻撃技術は、単に攻撃行動の一例にすぎないとはいえ、歴史の全過程を通じて、狩猟採集民のバンドから産業国家に至るありとあらゆる社会に付きまとってきた。」と述べている(ウィルソン『人間の本性について』岸由二訳、思索社、1980年)。考古学者佐原真(故人)は、採集狩猟社会の戦争は例外的であり、戦争は農耕社会に起源があるとみておおむね間違いない、日本の戦争は弥生時代に始まったと思われる、と述べている(田中琢、佐原真『考古学の散歩道』岩波新書、1993年、また松木武彦『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』講談社、2001年、も参照)。

 人類の祖先が、チンパンジーとボノボ(旧称ピグミーチンパンジー)の共通祖先と分岐したのは、約700万年前である。農耕は1万年ほど前に始まったので、佐原のとらえ方では、人類史の99%は「戦争のない時代」であった。

 人間の暴力の生物的基盤と社会的基盤を考える際に、現存の近縁の動物との比較は有益であろう。比較の対象となるのは、ヒト上科(類人猿)である。最近の分類学では、ヒト上科は、テナガザル科、オランウータン科、ヒト科(ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ヒト)に分けられる。なお、霊長目は、まず原猿類と真猿類に分けられ、真猿類はオマキザル上科(ゴールデンライオンタマリンなどの新世界ザル)、オナガザル上科(ニホンザルなどの旧世界ザル)、ヒト上科に分けられる(古市剛史『性の進化、ヒトの進化 類人猿ボノボの観察から』朝日新聞社、1999年)。ヒト科という名称からも示唆されることだが、類人猿は「雄雌」「一頭、一匹」ではなく、「男女」「一人」とするのが適切であろう(松沢哲郎『進化の隣人 ヒトとチンパンジー』岩波新書、2002年)。

テナガザルは人類の祖先との分岐年代が古いので(約2000万年前)、それ以外の類人猿とヒトで比較してみよう。自然人類学者ランガムは、戦争(成人男性集団同士の殺し合い)、殺人、強姦、子殺しを指標に比較している。4つともするのはヒトである。チンパンジーでは戦争、殺人、子殺しがみられる。ゴリラでは子殺しがあり、オランウータンでは強姦が観察されている。4つともしないのはボノボである(リチャード・ランガム、デール・ピーターソン『男の凶暴性はどこからきたか』山下篤子訳、三田出版会、1998年)。遺伝的に最も近縁な(分岐年代が最も新しい)チンパンジーとボノボが暴力と非暴力の両極端に分かれていることは、暴力が自然(遺伝)よりもむしろ文化(行動の伝統)に根ざしていることを示唆するであろう(戸田清『環境学と平和学』新泉社、2003年)。

霊長類学者フランス・ドゥ・ヴァールの言葉を引用しよう。「ボノボの知名度が低い背景には、もっと重大な理由がある。それは、人間に対する根強い先入観からボノボがはみだしていることだ。もしボノボが仲間どうしで殺し合う類人猿だったら、すぐにその存在は認知されただろう。最大の障壁は、彼らの平和主義なのである。私はときどき想像してみる。もしボノボのほうが先に知られていて、チンパンジーがそのあとに発見されたなら、あるいはチンパンジーがまったく知られないままだったら。人類の進化をめぐる議論は、暴力や戦争、男性支配を軸に展開するのではなく、性衝動や共感、思いやり、協力が中心だったのではないか。その結果私たちの知的世界は、まるで別の風景になっていたにちがいない。」(ドゥ・ヴァール『あなたのなかのサル』藤井留美訳、早川書房、2005年)。

ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは男尊女卑的であり、ボノボはジェンダー平等的である。紛争の和解などに性行動(男女、男同士、女同士)を多用するボノボは、「好色な類人猿」とも呼ばれる。「ボノボはまた、少なくとも西洋の基準からすると、目を瞠るほど乱交的である。」(デボラ・ブラム『脳に組み込まれたセックス』越智典子訳、白揚社、2000年)。ボノボの写真集には、心を洗われる美しい写真がたくさん掲載されている(フランス・ドゥ・ヴァール、フランス・ランティング『ヒトに最も近い類人猿 ボノボ』藤井留美訳、TBSブリタニカ、2000年)。ジェンダー平等のボノボで暴力が少ないことは、カナダのヘアー・インディアンで強姦がなく男女の平等度が高いことを想起させる(原ひろ子『ヘアー・インディアンとその世界』平凡社、1989年)。

最近の某大統領や某首相に象徴されるような人類の傲慢さは、目に余る。私たちは、「進化の隣人」であるボノボの非暴力と協力の精神に、大いに学ぶべきであろう。

 

3.「ポロニウムをめぐる直接的暴力と構造的暴力」『ナガサキコラムカフェAGASA』5号(2008年1月)3233

 

ロシアの元情報部中佐アレクサンドル・リトビネンコ氏が、二〇〇六年一一月二三日にロンドンの病院で変死した。英国健康保険庁によると、約1マイクログラム(致死量の百倍)のポロニウム210が尿から検出されたという(『週刊現代』二〇〇七年一月六日・一三日合併号)。リトビネンコ氏はプーチン政権の野蛮なチェチェン政策を繰り返し批判してきたとのことで、二〇〇〇年から英国に亡命していた。ロシアの治安機関による暗殺説、財界人が暗殺してプーチン政権のせいにしようとしたという説、ポロニウム密売の商売での事故説、自殺説などがあったが、殺人と断定された。

ネット上の百科事典『ウィキペディア』によると、ポロニウムの年間摂取限度(最大許容身体負荷量)は六・八ピコグラム、半致死線量(四シーベルト)を被曝する摂取量は四七ナノグラムであるという。この記述は不親切だ。数値が吸入(肺に入る)なのか経口(食物に混ざる)なのか、書いてないからだ。吸入の場合の方が、影響が大きい(毒性が強い)ので、摂取限度は小さくなる。摂取限度とは、一ミリシーベルトの被曝をもたらす量のことである。京都大学の小出裕章さんが計算してくれたが、桁としては間違っていないようだ。長崎原爆のプルトニウム239は、吸入の場合、摂取限度がナノグラム単位、半致死線量に達する摂取量がマイクログラム単位である。ポロニウムの毒性は、プルトニウムの千倍以上になる。ポロニウム210の半減期は一三八日、プルトニウム239の半減期は二万四千年である。半減期が短いと頻繁に被曝する。これらの核種は、アルファ線を出すので、体内に入ったときの内部被曝が恐ろしい。なお、マイクログラムは百万分の一グラム、ナノグラムは十億分の一グラム、ピコグラムは一兆分の一グラムである。ちなみにダイオキシン汚染もピコグラム単位で規制値が決められている。

リトビネンコ氏の体内から「猛毒の放射性物質」(NHKニュースの表現)が「大量」に検出されたとのことであるが、その「大量」とは、マイクログラムか、多くてもミリグラム(千分の一グラム)の桁であったと思われる。

ポロニウム210はグラム単位で取引されるようだ。ロシアのキリレンコ原子力庁長官によると、ロシアは毎月八グラムを米国企業などに輸出しているという。科学的な目的の他、印刷業や塗料産業などで使用されている(『朝日新聞』二〇〇六年一一月三〇日)。

ポロニウムというと想起されるのは、煙草の煙である。本誌第三号の拙稿を見てほしい。ポロニウム210は煙草に含まれる主な発癌物質のひとつで、肺癌、喉頭癌の原因の一部になる。厚生労働省のたばこ白書を見ると、やはり多くの有害物質と同様に、ポロニウム210も主流煙(喫煙者が吸う)よりも副流煙(周りの人の受動喫煙の原因になる)に多く含まれるようだ(『新版喫煙と健康 喫煙と健康問題に関する検討会報告書』保健同人社、二〇〇二年、四六頁)。

ポロニウムは、直接的暴力(殺害の手段)と構造的暴力(有害商品の合法的販売)の双方につながる物質である。長崎県出身のジャーナリスト常岡浩介氏は「ポロニウムが使える組織は非常に限られていて、どう考えても国家機関しかありえない。」と述べている(『プレイボーイ』二〇〇六年一二月一八日号)。リトビネンコ氏が亡くなる前にロシア政府の暗殺チームの「殺害予定者リスト」をロンドン警視庁に提出したとの報道があり、そのなかにリトビネンコ氏とともに、二〇〇六年一〇月七日に射殺されたロシア人ジャーナリスト、ポリトコフスカヤ氏の名前もあったという。

なお、ポロニウムの語源はポーランドである。一八九八年にキュリー夫妻が発見した放射性物質であるが、キュリー夫人の故国にちなんで命名された(『キュリー夫人伝』エーヴ・キュリー、河野万里子訳、白水社、二〇〇六年、二三三頁)。

リトビネンコ氏が厳しく批判したチェチェン政策であるが、このチェチェン問題については、次の三冊は必読であろう。日本人、ロシア人、チェチェン人によって書かれた本である(バイエフ医師は一一月二一日に長崎で講演した)。岩手県ほどの面積に約百万人が暮らしていたが、空爆、虐殺、拷問などで約二〇万人が犠牲になったという。核大国の横暴である。

『チェチェンで何が起こっているのか』林克明・大富亮(高文研、二〇〇四年)。

『チェチェン やめられない戦争』アンナ・ポリトコフスカヤ、三浦みどり訳(NHK出版、二〇〇四年)

『誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』ハッサン・バイエフ、天野隆司訳(アスペクト、二〇〇四年)

 

戸田清 とだきよし 1956年大阪生まれ。長崎大学環境科学部教授。専門は環境社会学、平和学。社会学博士。獣医師(資格)。著書は『環境的公正を求めて』(新曜社、1994年)、『環境学と平和学』(新泉社、2003年)。

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