ベトナム枯葉作戦
戸田清 2005年6月7日 2008年12月9日改訂
1. ベトナム枯葉作戦は農薬の軍事利用であり、1961〜1971年に行われた。ベトナム軍の行動を妨害し、食糧生産を破壊することが目的であった。大統領でみると、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの3代にわたる。米軍の撤退は1973年。ベトナム戦争終結は1975年。
2. 主要な枯葉剤である「エージェント・オレンジ」の主要成分は2,4,5-Tと2,4-Dでいずれも有機塩素系除草剤(芳香族)で、不純物ダイオキシン類は特に2,4,5-Tに多く含まれていた。先天奇形、皮膚疾患、癌、免疫疾患など「病気のデパート」。
3. 奇形、皮膚疾患などの被害はベトナムでは1990年代生まれの第三世代にも及んでいる。米帰還兵でも少なくとも第二世代に及んでいる。劣化ウラン弾と比較されたい。
4. 第二次大戦末期に米軍は「日本枯葉作戦」を計画していたが、1945年8月に日本が降伏したので実現しなかった(綿貫,1988;NCC,2005)。2,4,5-Tはもともと軍事利用を計画され、戦争終結のため農業・林業利用され、ベトナム戦争で軍事利用された。軍事利用と産業利用の錯綜については原子力と比較されたい。
5. 枯葉剤の納入業者の主力はダウケミカル(世界最大手の化学企業)、モンサントを中心とする米国9社で、三井化学も一部関与していたと思われる(原田,2004a)。枯葉作戦の被害者となる予定だった日本は加害者の一部になった。林野庁の国有林「枯葉作戦」(原田,2004b)、三井東圧化学の下請け労働者人体実験、久留米の三西化学農薬工場の環境汚染も問題になった(原田,2004c)。また、日本の戦後復興、高度経済成長は、朝鮮特需、ベトナム特需に大きく負っている。日米安保条約が背景にある。ダウケミカルはナパーム弾と枯葉剤で平和団体の抗議を受ける。ロッキーフラッツ核施設プルトニウム汚染で反核団体の抗議を受ける。ボパール事件(1984年)のユニオンカーバイドを買収した後の対応で環境団体・人権団体の抗議を受ける(Doyle,2004)。米国政府が日本におしつけた食品添加物OPPのメーカーとしても知られる。国連でダウケミカルの関係者がOPPの安全性データを改ざんした疑いがある(戸田,1994:56)。ブッシュ政権一期目にもダウケミカル関係者が参画した(戸田,2003:103)。モンサントは遺伝子組み換え作物の世界最大手で、枯葉剤の他にPCBでも知られる(The Ecologist,1998=1999)。
6. 2,4,5-Tは日本での農薬登録は1964年、失効は1975年で、水田や森林などの除草剤、植物成長調整剤(果樹の落果防止など)に用いられた(植村ほか,2002:132)。林野庁による不法投棄が問題となった。2,4-Dは日本での農薬登録は1950年、失効は1992年で、同じく除草剤、植物成長調整剤に用いられた(植村ほか,2002:77,305)。
7. 米国で2,4,5-Tの製造停止は1987年である(Doyle,2004:72)。2,4-Dは続いているようだ。癌の多発などとの関係が疑われている。
8. 米国政府、韓国政府は被曝した帰還兵の一部に対して補償を行っている。
9. 枯葉剤が最大のダイオキシン被害であるとすれば、第二はカネミ油症(1968年)であろうか。他にイタリアのセベソ事件(1976年)、米国のラブキャナル事件(1978年)、大阪能勢の焼却炉などがある。川名,2005参照。
10. レーチェル・カーソンの『沈黙の春』でも2,4-Dの遺伝毒性などについて警告している(Carson,1962=1974:240)。
11.米国の枯葉剤被害者対応の二重基準。米国政府は米軍退役軍人の枯葉剤被害者には補償しているが、それでも補償漏れで苦情が殺到している。他方、ベトナム人被害者が補償を求めて米国の法廷に提訴すると、門前払いされた。大統領の戦争権限に影響するからだという(NCC,2005。旧敵国からいちいち提訴されてはたまらない)。もちろん汚染のなかで日常生活してきたベトナム人のほうが被害は大きい。
文献・映像
植村振作ほか,2002,『農薬毒性の事典 改訂版』三省堂。
川名英之,2005,『検証・カネミ油症事件』緑風出版。
轡田隆史,1988,『枯れ葉作戦の傷跡』朝日文庫。元の単行本は『ベトナム枯れ葉作戦の傷跡』すずさわ書店1982。
坂田雅子,2008,『花はどこへいった 枯葉剤を浴びたグレッグの生と死』トランスビュー。
高谷清,2004,「枯葉剤に侵されたベトナムで」『自然と人間』4月号。医師。
戸田清,1994,『環境的公正を求めて』新曜社。
戸田清,2003,『環境学と平和学』新泉社。
中村梧郎,1983,『母は枯葉剤を浴びた』新潮文庫。
中村梧郎,1995,『戦場の枯葉剤』岩波書店。写真集。ベトナム、米国、韓国。
中村悟郎,2005,『新版 母は枯葉剤を浴びた』岩波現代文庫。
原口知明,2004a,「枯葉剤の原料は日本でつくられていた!?」『自然と人間』5月号。
原口知明,2004b,「日本の国有林にも枯葉剤が撒かれた! 林野庁版『枯葉作戦』の妄執」『自然と人間』7月号。
原口知明,2004c,「日本で枯葉剤関連物質の人体実験が!」『自然と人間』9月号。
ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪調査日本委員会,1967,『ジェノサイド 民族みなごろし戦争』青木書店。ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪と日本の協力・加担を告発する東京法廷。ラッセル法廷の一環。
松岡完,2001,『ベトナム戦争』中公新書。
宮田秀明,1999,『ダイオキシン』岩波新書。
和田正名,2002,『ベトナム戦争と「有事」体制 実証・先行したアメリカのテロ』光陽出版社。
綿貫礼子,1988,『生命系の危機』社会思想社現代教養文庫。元の単行本はアンヴィエル1979。
綿貫礼子・吉田由布子,2005,『未来世代への「戦争」が始まっている』岩波書店。
Rachel Carson,1962,Silent Spring.(=1974,青樹簗一訳『沈黙の春』新潮文庫。)
Jack Doyle,2004,Trespass Against Us:Dow Chemical and Toxic Century,Boston:Common Courage Press.ダウケミカルの枯葉剤、DBCP、シリコン、ボパール、石綿ほか
Philip Jones Griffiths,Agent Orange:Collateral Damagein Viet Nam,London:Trolley Ltd,2003.
Le Cao Dai,2000,Agent Orange in the Vietnam War:History and Consequences(=2004,尾崎望監訳『ベトナム戦争におけるエージェントオレンジ』文理閣。)ベトナムの医学者の著書。
Peter Schuck,1987,Agent Orange on Trial:Mass Toxic Disasters in the Courts,The Belknap Press of Harvard University Press.米ベトナム帰還兵の訴訟
SIPRI,1976,Ecological Consequences of the Second Indochina War.(=1979,岸由二・伊藤嘉昭訳『ベトナム戦争と生態系破壊』岩波書店。)
The Ecologist,1998,The Monsanto Files,The Ecologist,vol.28,no.5.(=1999,日本消費者連盟訳『遺伝子組み換えの脅威』緑風出版。)
Marie-Monique Robin,2008,Le Monde selon Monsanto,La Decouverte.(邦訳は作品社近刊)
NHK,1999、『ベトナムに生まれて 枯葉剤を浴びた村から』BS、2月14日、59分 フエ医科大学のニャン医師
NHK,2008,『モンサントの世界戦略』前編、後編、BS、6月14日(仏2008年、マリー・モニク・ロバン)
NHK,2008,『ベトナム・枯葉剤のまかれた村 自転車で走れ、希望の星』BSドキュメンタリー「アジアの子どもたち」10月29日、49分
NCC,2005,「テレビ朝日ザ・スクープスペシャル 終戦60年、ベトナム戦争終結30年特別企画 検証!終わりのない戦争 知られざる被害者たち」5月15日放映。
日本ベトナム友好連絡会議,2001,「私たちはこんな姿で生まれたくなかった」VHSビデオ13分。
ベトナム枯葉剤被害児支援の会(こぶた基金),2001,『ベトナム戦争 枯葉剤被害 いまだ癒されない傷あと』VHSビデオ30分。電話・ファクス0424-22-5188。