戸田清「環境・平和・暴力」『唯物論研究年誌第13号 平和をつむぐ思想』(青木書店2008年9月)に加筆

2万字、2008年6月15日まで  2008年5月14日作成 12月8日訂正

 

 「環境・平和・暴力」と言うとき、まず思い浮かべるのは「戦争(と軍事)による環境破壊」であろう(註1)。そして「平和」とは、単なる戦争の不在ではない。戦争がなくても、飢餓、貧困、差別、言論弾圧、環境破壊などのある社会は平和であるとは言えない。ヨハン・ガルトゥングは一九六九年に「戦争の不在」を「消極的平和」、「戦争と構造的暴力の不在」を「積極的平和」と呼んだ(註2)。「直接的暴力」(戦争、殺人、強姦など)と対になる概念が「構造的暴力(間接的暴力)」で、社会の構造がもたらす暴力(生命、健康、生活の質などの人為的な損傷)をいう。加害の意志はないことも多い。飢餓、貧困、差別、言論弾圧、環境破壊などが構造的暴力の例である。一九八〇年代にガルトゥングは「文化的暴力」(直接的暴力や構造的暴力を正当化する言説など)の概念を導入した。ブッシュ・ドクトリン(先制攻撃=予防戦争の正当化など)は直接的暴力を正当化し、公害・環境問題の過小評価(註3)は構造的暴力の存続を助ける。

環境破壊との関連で、資源浪費や「貧困と環境破壊の悪循環」(註4)などが重要である。ガンジーが言ったように有限な地球は「みんなの必要は満たせるが、みんなの貪欲は満たせない」ので、強者の浪費は他方に貧困と格差をもたらす。「石油のための戦争」は「資源の浪費構造と不平等を維持するための戦争」の典型である。構造的に浪費と格差をもたらすのが資本主義であり、ソ連型社会主義はその代案を提示できなかった。「戦争と環境破壊の時代」を「平和と環境保全の時代」に転換するためには、環境学と平和学の連携が不可欠であろう。本稿では、戦争による環境破壊、資源浪費構造を維持するための戦争、環境問題における構造的暴力、構造的暴力としての資本主義とソ連型社会主義の克服、環境学と平和学の課題について、順に論じることとしたい。

 

1.戦争は最大の環境破壊

 

1-1.戦争による環境汚染と自然破壊

 

戦争によって多大な人命損失と同時に都市や農村の物質的環境が根こそぎに破壊され、焦土となることは、通常兵器の大量使用(東京大空襲など)や広島・長崎への原爆投下に典型的にみられたところである。一九五〇年末までに広島で二〇万人(被爆時の人口三五万人)、長崎で一〇万人(被爆時二七万人)の市民が亡くなり、熱線・衝撃波・爆風・火災で、広島では一三平方キロ、長崎では六・七平方キロが焼き尽くされた(註5)。四五年三月の東京大空襲では約三百機のB29が三八万発の爆弾・焼夷弾を投下して一晩に死者・行方不明一〇万人、焼失面積四一平方キロであった。こうした事例を見ると「戦争は最大の環境破壊」であることが痛感される。

湾岸戦争の地上戦による油井炎上では、クウェートの炎上油井から排出される汚染物質の量が、一日単位で硫黄酸化物は「日本全体の排出量」の約二九倍、窒素酸化物は約一・五倍、二酸化炭素は約一倍であったと推定されている。特に硫黄酸化物の排出量は膨大で、ジェット気流に乗って西アジア、インド、東南アジア、ハワイ上空に達した(註6)。

他方、放射能汚染が広がった範囲だけで比べると、商業利用(いわゆる平和利用)に伴う破局であったチェルノブイリ原発事故は途方もないものであった。藤田祐幸は、原爆の汚染範囲が半径三キロ、チェルノブイリの汚染範囲が半径三百キロくらいであったと指摘している。百万キロワット原発を一年間運転すると、広島原発千発分の死の灰を生ずる。再処理工場や原発の最悪の事故と地震が複合した場合(原発震災)に、死者が百万を超えることもありうるだろう(註7)。

原爆投下で飛散した放射性物質が二〇キロくらいであったのに対して、湾岸戦争、イラク戦争では数百トンの劣化ウラン兵器が使われたので、放射性物質の量を単純に比較すると「ヒロシマの一万倍」になる。原爆の放射線被曝が深刻だったのは、核分裂の暴走によって大量の中性子線とガンマ線が出たためであり、劣化ウランでは中性子線とガンマ線、アルファ線の内部被曝が問題となる(自発核分裂もある)。イラクで子どもの白血病や網膜芽細胞種、先天奇形などが激増しているのは、劣化ウラン汚染の影響による疑いが強い(註8)。ウラン二三八の半減期は四五億年であり、太陽の核融合反応が暴走して「赤色巨星」となり地球生態系および地球が滅亡するのは数十億年以上先のことであるから、劣化ウラン汚染は文字通り「永久に」(地球最後の日まで)続くと言ってよいだろう。原爆でも、中性子線とガンマ線だけに目を奪われたため「内部被曝の過小評価」という問題が起こっている。

ベトナム枯葉作戦は、農薬(除草剤)の軍事利用であり、自然環境(熱帯林)と農業環境(作物)が戦争行為の標的となって、農薬の不純物であるダイオキシンによる深刻な人体被害が生じた(註9)。

 

 

1-2.戦争と軍事による資源浪費

 

 乗用車の燃費がガソリン一リットルあたり一〇〜三五km(平均一〇km)であるのに対して、戦車の燃費はディーゼル一リットルあたり〇・三〜〇・五kmくらいのようだ。M4A6シャーマン戦車の燃費はリットルあたり二四六mである。エイブラムス戦車はアイドリングだけで毎時四五リットルの石油を消費するという。(註10)。米軍は、世界最大の石油需要家である。米軍の消費量は年間に約八五〇〇万バレル、二〇〇五年の世界全体の石油消費は一日あたり八二四五・九万バレルだった。世界消費の一日強の石油を米軍が一年で消費していることになる。これはコロンビア(消費量は一日に二三万バレル)とフィンランド(同二三・三万バレル)の約一年分、デンマーク(同一八・九万バレル)の一年分以上に匹敵し、年間消費量が米軍に及ばない国は数十カ国ある。イラク戦争では当初一週間あたり二百万バレルの石油が使われた。全世界の軍事による炭酸ガス排出量は、国別排出量六位のドイツを上回る。また日本でも、自衛隊だけで政府機関全体の炭酸ガス排出量の七割近くを占める(註11)。

 通常の訓練飛行のために発着するF16ジェット戦闘機は、一時間足らずの演習フライト一回分だけで、米国の平均的なドライバーが一年間に消費するガソリンの二倍に匹敵するエネルギーを消費する。ワールドウォッチ研究所のマイケル・レンナーの推計によると、世界全体のジェット燃料総消費量の四分の一近くは軍用ジェット機による使用分である。また、米国の軍事部門は、「間違いなく有害廃棄物の最大の発生源」である(註12)。

 

1-3.基地と環境破壊

 戦争がないときでも、基地によるさまざまな環境破壊がみられる(註13)。

 

2.資源浪費構造を維持するための戦争

 

2-1.石油のための「アメリカ帝国」の戦争

 

一人あたり資源消費に巨大な南北格差がある。世界自然保護基金(WWF)がエコロジカル・フットプリント分析(環境負荷や資源消費を面積に換算する手法)を用いて試算した「生きている地球レポート」によると、世界中が大量消費の「アメリカ的生活様式」を採用するならば、「五・三個の地球」が必要になるという。世界中が日本並みの消費をすると「二・四個の地球」が必要になる(註14)。しかし、地球は一個しかない。欧米と日本の現在世代が第三世界、将来世代、自然を犠牲にして資源を浪費する(豊かさを享受する)「大量採取、大量生産、大量消費、大量廃棄」の石油文明は、二二世紀まで持続させることができるのだろうか。

先進国の資源消費面の横暴を最も典型的に示すのは、二〇世紀初頭に確立された「アメリカ的生活様式(American Way of Life)」である(表1)。自動車大国、軍事超大国であるから米国の場合(註15)が最も典型的に「ひとりじめ」状況を示すのであるが、西欧や日本も基本的な傾向としては変わらない。環境先進国と言われるドイツや北欧でさえ、一人あたり資源消費は多い。「地球はすべての人の必要を満たすことはできるが、貪欲を満たすことはできない」とモハンダス[マハトマ]・ガンジーは述べた。先進国の浪費は、第三世界の貧困(乳幼児死亡率が高いことなどを含む)を必要条件としている。資源浪費は構造的暴力に他ならない。

表1 世界に占める米国のシェア

世界に占める米国のシェア(%)

日本のシェア(%)

世界銀行の総裁ポスト

100

  0(アジア開発銀行では100

広告費

 65

 12(世界2位)

戦略核兵器

 53

  0

違法麻薬の消費

 50

軍事費

 46

  4(世界5位)

銃保有数

 33

武器輸出額

 31

紙消費

 29

  9(世界2位)

国内総生産(GDP)

 28

9(世界2位)

自動車保有台数

 26

  8(世界2位)

石油消費

 25

  7(世界3位)

電力消費

 25

  7(世界2位)

牛肉消費

 24

  1.5

原子力発電所の数

 24

 13(世界3位)

炭酸ガス排出

 22

  5(世界4位)

刑務所等収容人口

 22

  2

界銀行・IMFの投票権

 17

  7(世界2位)

喫煙関連疾患の死者

  9(世界2位)

  2

人口

  5(世界3位)

  2(世界10位)

出典 出典 戸田清「アメリカ的生活様式を考える」総合人間学会編『総合人間学2 自然と人間の破壊に抗して』(学文社、2008年)の表に加筆。グローバル・エクスチェンジのサイトhttp://www.globalexchange.org/campaigns/wbimf/faq.html 等から作成。

「アメリカ的生活様式」と軍事政策の関連を示唆するものとしてよく引用されるのは、国務省政策企画部長であったジョージ・ケナン(ソ連地域を専門とする外交官)の非公開メモ(一九四八年に書かれたが、有権者に情報開示されたのは一九七四年)のなかの次の一節である。西山俊彦の著書から引用しておこう。

 

アメリカは世界の富の五〇%(二〇〇一年に三一%)を手にしていながら、人口は世界の六・三%(二〇〇一年に五・〇%)を占めるにすぎない。これではかならず羨望と反発の的になる。今後われわれにとって最大の課題は、このような格差を維持しつつ、それがアメリカの国益を損なうことのないような国際関係を築くことだろう。それにはあらゆる感傷や夢想を拭い去り、さしあたっての国益追求に専念しなければならない。博愛主義や世界に慈善をほどこすといった贅沢な観念は、われわれを欺くものだ。人権、生活水準の向上、民主化などのあいまいで非現実的な目標は論外である。遠からず、むき出しの力(straight power)で事に当たらねばならないときがくる。(註16)。

 

梅林宏道もこのケナン発言を引用し、続けてクリントン大統領が一九九七年に「われわれは世界の人口の四%を占めているのに、世界の富の二二%を必要としている」と述べたことを指摘する。梅林の著書では、ケナンやクリントンを引用した部分に、〝「不平等を維持する」ための軍隊〟という小見出しがついている(註17)。「不平等を維持する」は「先進国の資源浪費構造を維持する」と言い換えることができる。

中東の石油を確保するための緊急展開軍(中央軍の前身)を設置した「カーター・ドクトリン」(八〇年)以降、米国の「石油獲得戦争」は露骨になったと言わざるをえない。

 二〇〇三年に米国が開始したイラク戦争は、大量破壊兵器の疑惑、アルカイダとのつながり、イラクの民主化という「開戦理由」がすべて破綻して、泥沼状態になっている。古代文明の遺産もツワイサ核施設も略奪が放置されるなかで「石油省」だけは米軍が厳重に警備しているエピソードに象徴されるように、「石油のための戦争」という側面が重要であることは否定できないであろう。石油支配、ドル防衛(フセインが企図した石油取引のユーロ決済の阻止)、軍需産業等の利権などが、イラク戦争の隠された動機であると思われる。イラク駐留米軍の死者は〇八年三月に四千人を越えたが、イラク人死者は〇六年ですでに六五万人ほどであると米国・イラク共同研究によって推計されている(註18)。劣化ウラン兵器の使用は湾岸戦争を上回る約二千トンであると推測される。

フォード(自動車の大衆化)とゼネラルモーターズ(モデルチェンジの導入による無駄の制度化)に主導された「クルマ社会化」が典型的に示しているように、「二〇世紀文明」は「石油文明」である(石油文明の成立に最も貢献したのは、英米海軍とフォード社である)。二〇世紀初頭において、世界最大の産油国は米国であった。一九七〇年頃に米国の石油採掘量はピークを迎え、その後は石油の輸入依存度が増大を続けている。世界の石油採掘量も二〇一〇年頃にはピークを迎えるのではないかという「石油ピーク説」がひとつの有力な学説となっている(註19)。それなのに、米エネルギー省は、米国の石油消費量が少なくとも二〇二〇年までは増加し続けると予測している(註20)。

 中国やインドをはじめとする新興工業国の石油需要も増大するなかで、先進国が石油浪費文明を維持しようとするならば、中東などの石油資源の争奪が大きな「課題」とならざるをえない。一九五三年のイランのモサデク政権(民族主義)の倒壊とパーレビ独裁政権(親米)の成立に米国がCIA(中央情報局)などを通じて関与した動機は石油であったが、米国が中東の「死活的国益」(その中心は石油資源)を確保するためには軍事力の発動を辞さないことを「公式に」決めたのは、カーター政権末期のことであった。イラン・イスラム革命とソ連のアフガニスタン侵攻を契機として策定された、いわゆる「カーター・ドクトリン」である。ここで設置された「緊急展開部隊」がレーガン政権によって現在の「中央軍」に再編された。湾岸戦争でもイラク戦争でも、その中央軍が「活躍」した(註21)。

 インターネットの「グーグル」で「FBI Bin Laden」と入れて検索してみよう。ウサマ(オサマ)・ビン・ラディンの主要な容疑は〇八年八月現在もなお「一九九八年のテロ」(駐ケニアおよび駐タンザニア米国大使館の爆破)であることがわかる。二〇〇一年のテロ(9・11事件)への言及がないのは、証拠不十分だからである。9・11事件はアルカイダの犯行だという前提でアフガニスタン戦争やイラク戦争、愛国者法の立法などが行われたことの正当性はどうなるのだろうか。9・11事件から数年間に浮上した米国政府の謀略疑惑を示唆する状況証拠は多い(註22)。米国の資源浪費と覇権を維持するためには、数年ごとに戦争が「必要」になるのだろうか

 

2-2.水資源を確保するイスラエルの占領政策

 

 広河隆一は、パレスチナの水問題について紹介している(註23)。ガザ地区では、パレスチナ人は井戸を掘ることも禁止されている。そのため水不足が生じ、ひとつの井戸をさらに深く掘って使用するため、地下水が海水で汚染され、飲料水に事欠くとともに、汚染された水を農地に使うため、砂漠化がさらに進行する。他方でユダヤ人入植地の井戸掘削は許可されている。ヨルダン川西岸地区も深刻で、水資源の四〜五%だけを西岸地区住民が使用でき、残りはユダヤ人入植者が使う。この水の割り当ては二〇二〇年まで据え置くと定められており、一人あたりの水使用量が西岸のユダヤ人入植者とパレスチナ人では十対一の割合になっている。国際法違反の占領を続ける動機のひとつは、水資源の確保であろう。

 

 

3.公害・環境問題にみられる構造的暴力

 

3-1.煙草の合法的販売

 

煙草病の年間死者は世界で約五百万人、米国で約四五万人、日本で約十一万人。これは喫煙による能動喫煙被害であるが、他人の喫煙による受動喫煙被害もその五%から十%程度になるものとみられる。これは、地上最大規模の構造的暴力である(註24)。その「主犯」は煙草会社と煙草を奨励する政府機関である。会社や政府機関の目的は喫煙者の生命健康を害することではなく、利潤や財政収入の増大であるから、典型的な構造的暴力である。世界の三大煙草会社は、フィリップモリス、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ、JT(日本たばこ産業)である。財務省が所管するたばこ事業法(一九八四年制定)は、その第一条でいうように「我が国たばこ産業の健全な発展を図り、もつて財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資することを目的」としている。米国の通商代表部は、自由貿易の美名のもとに煙草の輸出促進をはかっている。厚生労働省や米国保健福祉省は公衆衛生の立場から喫煙抑制をはかっており、WHOの煙草規制枠組み条約や日本の健康増進法が存在するのであるから、政府の行動が矛盾を含んでいることになる。喫煙者は副流煙によってまわりの人に迷惑(受動喫煙の被害)をかけるので、侵略戦争に動員される下級兵士と同様に「被害者となることによって加害者となる」わけである。

中国衛生部が二〇〇七年五月二九日に発表したところによると、同国で喫煙に起因する疾病での死者が毎年約百万人、受動喫煙による死者も十万人を超えるとの推計値が得られた。中国人十三億人のうち喫煙者は三・五億人。また受動喫煙者は五・四億人で、うち一・八億人が十五歳以下だった(註25)。

 

3-2.水俣病、カネミ油症の「過度に厳しい認定基準」による被害者の切り捨て

 

近代日本の公害の原点は足尾鉱毒事件、現代日本の公害の原点は水俣病である。足尾鉱毒事件は、富国強兵の体制によって健康や環境がおしつぶされた事件であった。水俣病は、憲法一三条と二五条がうたう健康権や環境権が軽視された事件である(註26)。中学、高校で教える公害・環境問題は、四大公害(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息)と地球環境問題に限られるようだ。薬害(八七年まで教科書に出ていた)や食品公害は教えない。 

水俣病(表2)においては、食品衛生法の適用拒否、未認定食中毒患者、水質二法の適用拒否、猫実験隠し、アミン説、認定基準改悪、認定作業放置、時代の思潮(経済成長優先)などに企業、政府、学者、国民の「必ずしも加害を意図しない暴力」がみられる(表3)。

表2 水俣病の全体像(08年、環境省)

認定患者(2月末)

2960人(生存855人)

医療・保健・新保健手帳交付者(3月末)

2万8600

認定申請者(3月末)

5992

出典 竹内敬二「環境教室 第26回 水俣病関西訴訟」『朝日新聞』2008年5月1日

 

表3 水俣病年表

1908年 日本窒素肥料(1950年に新日本窒素肥料、1965年にチッソと改称)の水俣工場操業開始

1932年 水俣工場の水銀触媒を用いるアセトアルデヒド製造工程が稼働開始

1941年頃 水俣病患者の発生(推定)

1956年 水俣病患者の多発と公式発見

1957年 水俣湾の魚介類が原因食品とわかるが、病因物質は不明。厚生省は「すべての魚介類が有毒化しているかどうか不明」とする9月11日文書で食品衛生法4条適用を阻止

1959年 熊本大学の研究で有機水銀が病因物質と判明(7月)、厚生省食品衛生調査会も承認(11月)、しかし水質二法(工場排水規制)を適用せず。チッソの猫実験隠し(10月)と見舞金契約(12月)。

1960年 水俣病総合調査研究連絡協議会(学者と通産省・厚生省・水産庁・経企庁・熊本県)、水俣病研究懇談会(日本化学工業協会系、田宮委員会・複数の東大医教授)、東工大・清浦雷作(連絡協・懇談会)の根拠なき「アミン説」新聞報道

1963年 熊本大学がアセトアルデヒド製造設備の残渣からメチル水銀を抽出

1965年 新潟水俣病の発見

1968年5月 水銀触媒を用いるアセトアルデヒド製造工程がチッソを最後に全国で終結

1968年9月 日本政府が水俣病を公害病と認める

1971年 環境庁の水俣病認定基準(大石武一長官)

1977年 環境庁の水俣病認定基準改悪(石原慎太郎長官)。昭和52年判断条件。

1995年 水俣病の政治決着(患者認定せず被害者に260万円)

1998年 日本精神神経学会が昭和52年判断条件は科学的に誤りであると指摘。

2004年 水俣病関西訴訟最高裁判決で国の責任確定。水質二法で勝訴、食品衛生法で敗訴、認定に行政と司法の二重基準問題

2008年8月現在 与党プロジェクトチームの発案(2007年)により一時金150万円を柱とする「新救済策」で二度目の政治決着の方向。環境省は昭和52年判断条件を固持。

資料 宮澤信雄『水俣病事件四十年』(葦書房、1997年)などから作成

 

 

福岡・長崎をはじめ西日本一円で発生したカネミ油症(註27)では、ダーク油事件の中途半端な処理、回収の不徹底、皮膚症状偏重の診断基準、未認定食中毒患者、仮払金返還問題、ダイオキシン対応、国民的関心の低調などに企業、政府、学者、国民とかかわる構造的暴力がみられる(表4)。カネミ油症事件では当初約一万四千人が被害を届けたが、認定患者は死亡者を含めて一九一三人(うち長崎県七七四人)にとどまる(〇八年五月現在)。九州大学医学部は二〇〇八年五月八日に「油症ダイオキシン研究診療センター」(古江増隆センター長)を設置したが、「未認定患者は診療などで対象外とする考えを示した」とのことで「批判が広がることは確実」だという。

 

表4 カネミ油症年表

1954年 鐘淵化学がPCBを製造開始

1961年 カネミ倉庫が米ぬか油(ライスオイル)を製造開始。脱臭装置の熱媒体にPCBを採用

1963年 北九州、飯塚などの患者に症状が出始める

1966年 従業員(脱臭係)に黒いブツブツ、目やになどの症状

1968年 1月改造工事→PCBの異常な減量、2月ダーク油事件、3月農林省回収指示、5月患者がカネミ油を保健所に、6月九大皮膚科に3歳女児受診その後受診増加、8月九大皮膚科は米ぬか油が原因食品と説明したが食中毒届出せず、9月学会発表、10月朝日新聞報道・九大ほか研究班発足・診断基準発表、11月油にPCB検出(病因物質)・五島一斉検診

1969年 被害者がカネミ倉庫、カネカ(旧鐘淵化学)に損害賠償提訴(福岡民事訴訟)

1970年 国と北九州市を被告に加え統一民事訴訟第1陣提訴

1973年 梅田玄勝医師らの調査によると最も早い発症は1961

1977年 福岡民事訴訟で福岡地裁がカネミ倉庫とカネカに賠償命令

1979年 台湾油症事件

1983年 油症研究班長倉恒九大教授が油症の主原因はPCDFの妥当性が高いと発表

1984年 第1陣提訴で福岡高裁が国に賠償命令

1985年 第3陣訴訟で福岡地裁小倉支部が国に賠償命令

1986年 第2陣訴訟で福岡高裁が国の責任を否定

1987年 最高裁で原告とカネミ倉庫が和解、国への訴えを取り下げ(上告審敗訴を予想)

1996年 農林省が仮払金返還の督促状

2001年 坂口厚生労働大臣が、ダイオキシンが主因なので診断基準を見直したいと参議院で答弁

2004年 認定基準にPCDFを追加

2006年 日弁連が国とカネミ倉庫に被害者の人権救済勧告、救済策与党プロジェクトチーム発足

2007年 4月救済策合意、6月に救済特例法成立(仮払金返還は大半免除、新認定患者にはまだ補償なし)

  資料 朝日新聞2007年4月11日、同1028日、『今なぜカネミ油症か 日本最大のダイオキシン被害』(止めよう! ダイオキシン汚染・関東ネットワーク,2000年)から作成。

津田敏秀(岡山大学医学部)が言うように、「未認定食中毒患者が一万人も(放置されて)いる」という異常事態が二つもあるが(水俣病の三万人とカネミ油症の一万人)、これは食品衛生法の運用を破壊するものであり、あってはならないことである。なぜ日本人は怒らないのか? 食中毒患者とは、「暴露有症」の人を言う。つまり、原因食品ないし病因物質を食べ、症状のある人である。症状の組み合わせや種類(皮膚症状、消化器症状など)によって選別してはならない。ブドウ球菌食中毒の人を「下痢と嘔吐があるので認定」「下痢だけ、嘔吐だけは未認定」などと選別するであろうか? 特殊な食中毒なので基準は必要と思うが、いまの両基準はあまりに異常である。水俣病では、一九七一年のまともな基準を破壊して、七七年(昭和五二年)に「異常に厳格な基準」をつくってしまい、現在に至っている。昭和五二年判断条件を満たす人はもちろん水俣病だが、そのうちの九分の二しか認定されず、九分の六は保留であった(註28)。満たさない人にも水俣病の人は多い(そのほぼ全員は七一年基準を満たす)。カネミ油症の診定基準は皮膚症状偏重である。「ダイオキシン被害」という共通点を考慮して、台湾油症やベトナム枯葉剤被害(ベトナム、韓国、米国)の認定基準に学ぶべきである。日本は「法治国家」なのか、それとも「放置国家」なのか? 食品衛生法は厚生労働省所管、公害健康被害補償法(公健法)は環境省所管であるから、水俣病の認定を所管する環境省におそらく「食中毒」についての問題意識はない。なお、「放置」の古典的な例としては、広島・長崎の原爆被爆者は一九四五年(被爆)から五七年(原爆医療法)まで一二年間も放置されている。また、原爆医療法の法案段階ではビキニ水爆実験のヒバクシャも入っていたのだが切り捨てられ、米国に補償を要求しない(見舞金で我慢する)ことと引き替えのようにして原発が導入された。ビキニ被爆者は「原発導入の人柱」にされたのである(註29

3-3.なかったことにされた長崎県対馬などのイタイイタイ病

 

国内にカドミウム汚染地(表5)はいくつかあるが、イタイイタイ病(カドミウムによる骨軟化症で、前駆症状として腎障害がある)は富山県だけであるとされた。長崎県対馬などではなかったことにされたのである(註30

表5 カドミウム汚染地域住民の尿細管障害と骨軟化症の関連

地域

尿細管障害

骨軟化症

富山

最重度

中〜高度

長崎[対馬]

高度

軽〜中度

秋田

軽度

なし

出典 齋藤寛「環境中のカドミウムと人間の健康」谷村賢治・齋藤寛編『環境知を育む 長崎発の環境教育』(税務経理協会、2006年)54頁。[対馬]は戸田の補足。

 

3-4.石綿対策の遅れ

 

ILOがアスベストの発ガン性を警告してからも、日本では輸入が増え続けた(表6)。アスベストが職業病にとどまらず公害病(周辺住民の病気)でもあることは英国で四十年前に報告され、環境庁もまもなくその論文に気づいたが、「クボタショック」で国民の注目を浴びるのはようやく二〇〇五年のことである(註31)。

 

表6 アスベスト問題年表

 

1896年 大阪で日本アスベスト株式会社(ニチアスの前身)設立

1924年 英国のクック医師が石綿工場で働いて33歳で肺線維症により死亡した女性について『英国医学雑誌』で報告(1927年に石綿肺と命名、じん肺の1種)

1935年 米国のリンチとスミス医師が石綿労働者の肺癌を『アメリカ癌雑誌』に報告

1943年 ドイツ(ヒトラー政権)が石綿による中皮腫と肺癌を労災認定の方針

1955年 英国のドル博士が石綿労働者の肺癌死亡率を『英国産業医学雑誌』に報告

1964年 米国のセリコフ博士らが石綿肺、肺癌、中皮腫の発生率を『アメリカ医師会雑誌』に報告

1965年 英国のニューハウス医師らがロンドンの石綿工場周辺住民の中皮腫を『英国産業医学雑誌』に報告

1972年 環境庁が石綿工場周辺住民への健康影響の可能性を認識し、ニューハウス論文にも言及。ILOが石綿の発癌性を警告

1974年 日本の石綿輸入がピーク

1975年 労働安全衛生法で石綿を発癌物質に指定。吹き付け石綿を禁止

1979年 米国環境保護庁が石綿全面禁止の意図を公表

1982年 米国の訴訟多発で石綿大手ジョンズ・マンビル社が破産保護を申請

1987年 学校の石綿使用と横須賀の米軍による石綿廃棄物投棄が問題化

1989年 米国環境保護庁が石綿使用の大半を禁止

1995年 日本で青石綿、茶石綿を禁止。人口動態統計に中皮腫の項目。阪神淡路大震災で石綿大気汚染

2001年 米国の9・11事件で世界貿易センタービル倒壊現場付近の石綿大気汚染

2004年 日本で白石綿も原則禁止

2005年 クボタ周辺住民の中皮腫が社会問題化

2006年 石綿被害者救済新法できるが、肺癌患者の救済などで不十分さの指摘あり。指定疾患は中皮腫、肺癌のみで、石綿肺、良性石綿胸水、びまん性胸膜肥厚が入っていない。

資料 戸田「労災職業病九州セミナー」(長崎、2005年)講演資料などから作成

 

 

3-5.核の商業利用-ウラン鉱山・原発・再処理など

 

 核開発には、地球規模で構造的暴力の問題が最も典型的にあらわれていると言ってよいであろう。核燃料サイクルのなかでウラン鉱山は最大の被曝源であるが(註32)、アメリカやカナダの先住民が大きな影響を受けた。原爆開発のマンハッタン計画では、ベルギー領コンゴ(当時)の住民も採掘にかり出されている(原爆投下の原材料ウランはコンゴ、カナダ、米国から)。原発における被曝労働は電力会社の社員に比べて圧倒的に下請け労働者に集中し、下請け労働者の供給源は、低賃金労働者やマイノリティ(山谷、釜が崎、出稼ぎ農民、炭坑離職者、黒人、旧植民地人など)である(註33)。核実験も、先住民、少数民族などマイノリティに被害が集中し、豊崎博光は「ニュークリア・レイシズム」(核の人種差別)と呼んでいる(註34)。ネバダ州の核実験場でも、風がロサンゼルスやラスベガスのような大都市の方向に吹くときには実験を停止し、ネバダ州やユタ州の過疎地域に向かって吹くときに行っていたので、地域差別でもあった。原発は電力の大量消費を支える道具である。東京電力は自社管内に原発を持たず、隣の会社(東北電力、北陸電力)の土地に原発を立地して、首都圏の大量消費を支えている。原発銀座若狭の住職中嶌哲演は、原発問題で問われているのは、チェルノブイリ原発事故などで問われた「安全神話」はもとより、「必要神話」そのものではないかと指摘する(註35)。原発については、推進派の班目(まだらめ)春樹東大教授(原子力工学)も次のように述べている。「原子力発電に対して、安心する日なんかきませんよ。せめて信頼してほしいと思いますけど。安心なんかできるはずないじゃないですか。あんな不気味なの。」「最終処分場の話は、最後は結局お金でしょう? あの、どうしてもみんなが受け入れてくれないとなったらお宅にはいままでこれこれと言っていたけどその二倍払いましょう、それでも手を挙げてくれないんだったら五倍払いましょう、十倍払いましょう、どっかで国民が納得する答えが出てきますよ。」高レベル放射性廃棄物は今後数万年間、人間環境から隔離する必要がある。

 「地球温暖化防止のために原発増設を」というのももちろん嘘である。日本は濃縮ウランの自給率が低く、米国のウラン濃縮工場では大型石炭火力発電所から電力を供給されている。また、原発は「海洋温暖化装置」である。たとえば、柏崎刈羽原発の温排水によって、「暖かいもうひとつの信濃川」(七度昇温)ができることになる。

そもそも軍事利用と民事利用は明確な線が引けるものではない。歴史的にみると、核の民事利用は軍事利用の副産物にすぎない。広島原爆(ウラン原爆)をつくるためにウラン濃縮が必要であった。長崎原爆(プルトニウム原爆)をつくるために原子炉と再処理が必要であった。原子炉は後に発電と船舶推進(軍艦と民間船)に転用される。核兵器や核燃料をつくるためにウランを濃縮するときの副産物が劣化ウランである。核開発の3点セット(ウラン濃縮工場、原子炉、再処理工場)をすべて持っているのは核兵器保有国と日本だけである(註36)。ウラン鉱山は軍事利用と民事利用の共通の出発点である。最初の原発である東海一号(一九九八年に廃炉)は天然ウラン燃料使用のもので、使用済み核燃料は英国の原爆に転用された疑いがある。現在操業中の五五基の原発は米国式の濃縮ウラン燃料使用のもので、燃料製造の副産物である劣化ウランが米国の劣化ウラン兵器に流用された疑いがある。日本の電力会社はウラン濃縮の多くを米国に依存しており、ウラン濃縮過程で発生する劣化ウランについては所有権を放棄するからである。また高速増殖炉の炉心周囲からは核兵器級プルトニウムを容易に取り出すことができる。日本が執着するプルトニウム路線(核燃料再処理、高速増殖炉、軽水炉のプルサーマル運転の推進)は「潜在的核武装」のためではないかと海外で疑われている(註37)。原爆投下の目的はソ連威嚇と人体実験であったと見られるが(註38)、日本の右派は、原爆を浴びた日本には核武装の権利があると主張する。

広島・長崎の「二重被爆」はドキュメンタリー映画(2006年)にもなったが、長崎原爆と原発被曝労働の「二重ひばく」の例もあるという(註39)。

米国のイラク問題やロシアのチェチェン問題に典型的に見られるような「核大国の暴走」の背景にその特権意識があることは言うまでもないだろう(註40)。

 

表7 代表的な核分裂反応の比較

 

核分裂した(する)ウランの量

ウランの内容

核分裂連鎖反応の様態

東海村JCO臨界事故(1999年)

mg20時間)

中濃縮ウラン(ウラン23520%程度)

暴走

広島原爆(1945年)

kg(1秒以下)

高濃縮ウラン(ウラン23590%程度)

暴走

100kw原発の平常運転(1970年代以降)

1トン(1年間)

低濃縮ウラン(ウラン235が4%程度)

制御

出典 土井淑平・小出裕章『人形峠ウラン鉱害裁判』(批評社2001年)22頁の表に加筆。「大型原発を1年間運転すると広島原発1000発分の死の灰ができる」とよく言われるのは、この数字をさす。また、商業原発では低濃縮ウランが、原子力潜水艦・原子力空母では高濃縮ウランが用いられる。原発と同じ原子炉に原爆と同じウランを装荷する海軍原子炉は、原発よりも危険である。原発は事故が起こったときの影響が大きいので、人口の少ない玄海町には設置できるが、やや人口の多い隣の唐津市には設置できない(過疎地差別の制度化)。しかし、さらに人口の多い佐世保に米海軍の原子力艦船が寄港することは自由である(対米従属と二重基準)。なお、火力発電所は大都市にも設置できる。

 

3-6.構造的暴力としての資本主義

 

七〇年代から八〇年代にかけて開始された新自由主義と軍国主義の潮流(ピノチェット、サッチャー、レーガン、中曽根に象徴される)が、環境破壊、資源浪費、公害輸出(註41)、貧富の格差の拡大、戦争の悪循環をもたらしてきた。ソ連型「社会主義」の崩壊という「敵失」によって「勝った」と錯覚した資本主義の暴走(註42)をとめることが、持続可能で公平な社会をめざすための必要条件である。

 グローバル資本主義(註43)の新自由主義的で軍国主義的な構造を克服して、脱軍事化、脱化石燃料、脱原子力、脱クルマ社会、脱牛肉文明の「持続可能で公平な社会」をつくることが求められている。自然エネルギーを基本とした平等な社会のモデルが必要である(註44)。増大が予想される資源紛争(水、食料、エネルギーなど)をおさえるには、先進国の浪費構造を克服するしかない。

 先進国の現在世代の過剰消費と環境破壊は、将来世代の生存基盤を脅かしている(註45)。先進国の中産階級以上[と発展途上国の上層階級]の集団的エゴイズムである。先進国でもワーキングプアが増えており、「北のなかの第三世界」ができつつある。私たちはたとえば三〇世紀に生きる子孫の批判にも耐えられる文明をいかにしてつくれるであろうか。アメリカ先住民の思想に「七世代先の子孫のことを考えて行動しよう」というものがあると言われるが、そうした知恵に学ぶべきであろう。

人類と類人猿が共通祖先から分岐したのは約七百万年前である。ヒトおよびその直系祖先たちは、近い親戚たち(パラントロプス、北京原人、ネアンデルタール人など)を絶滅させ、現在では遠い親戚たち(ボノボ、チンパンジーなど)を絶滅の瀬戸際に追い詰めている。トラ、サイ、ゾウ、ジュゴンなどが急速に減少している。地球は人類だけのものかだろうか。人類のオーバープレゼンス(消費爆発と人口爆発)を軌道修正していくことが、「地球との平和」の必要条件であろう(註46)。

 

3-7.構造的暴力としてのソ連型社会主義を克服してエコ社会主義へ

 

 ソ連型社会主義は、構造的暴力としての資本主義への代案を提示できなかった。ある種の構造的暴力の様相(強制収容所、言論抑圧など)を示すとともに、資源・環境面でも多くの問題をかかえていたことも、ソ連崩壊の要因であろう(註47)。

有機農業と医療で注目されるキューバ(註48)など、現存社会主義の積極的側面を生かしながら、エコ社会主義(註49)への新たな展望を模索していくことが必要であると思われる。

 

4.環境学と平和学

「戦争と環境破壊の時代」を克服するために必要な「環境学と平和学の連携」(註50)の必要性は、次のようなことによって示唆される。

     戦争は最大の環境破壊(環境汚染、自然破壊)である。原爆投下、ベトナム枯葉作戦、絨毯爆撃、劣化ウラン兵器などがその典型である。

     先進国の大量浪費社会、南北格差という構造的暴力を維持するために軍事介入がなされる

     先進国の大企業の投資や利益を守るために軍事介入がなされる。

     軍事占領によって資源の不公平分配がなされる。イスラエルとパレスチナの水問題はその典型である。

     乏しくなっていく資源をめぐる武力紛争が発展途上国間や内戦という形でも起こりうる。

     戦争がないときでも軍事基地、車両、航空機、艦船などが日常的に環境汚染をもたらす。軍用車両、航空機、艦船は燃費が悪いので資源浪費を加速する。

     有害物質規制などで軍事利用と民事利用の二重基準がある。発癌物質プロピレンオキサイドを例にとれば、民事利用では排出を厳しく規制されるが、燃料気化爆弾としての大量排出は許容される。劣化ウランなども同様である。

     軍事利用の民事転用(原子力潜水艦から原発へなど)や民事利用の軍事転用(枯葉作戦での農薬利用など)が大きな役割を果たしている。ビキニ被爆者を「人柱」として原発技術は導入された(日本政府の対米交渉の姿勢は、ビキニ被災者には補償金でなく見舞金でよい、米国の今後の核実験にも反対しない、その代わりに原発技術を恵んでほしい、というものであった)

     科学者、技術者、研究資金などが軍事に動員され、環境や福祉への資源配分が少なくなる。

     自然破壊は「地球との戦争」としてもとらえることができる。人類と奴隷(家畜)が増え、野生生物が種の数も個体数も減少している(なお、人類のなかの奴隷労働もなくなってはいない)。

 

 

註1 たとえば次の諸文献を参照。寺西俊一「環境破壊からみた湾岸戦争」経済理論学会有志編『湾岸戦争を問う』経済理論学会有志、一九九一年、青山貞一「湾岸戦争と大気汚染」『公害研究』第21巻第3号、岩波書店、一九九二年、大場英樹『環境問題の世界史』公害対策技術同友会、一九七九年、大島堅一ほか「軍事活動と環境問題:「平和と環境保全の世紀」をめざして」日本環境会議編『アジア環境白書200304』東洋経済新報社、二〇〇三年、田中優『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』合同出版、二〇〇五年、田中優『戦争って、環境問題と関係ないと思ってた』岩波ブックレット、二〇〇六年、戸田清「二〇〇七年度第六回長崎平和研究講座 環境学と平和学の接点 公害と戦争を中心に」『長崎平和研究』二五号、長崎平和研究所、二〇〇八年。

Joel  Kovel2008The Ecological Implication of the WarMüge Sökmen edThe World Tribunal on IraqMaking the Case against WarCommon Courage Press

註2  たとえば、ヨハン・ガルトゥング、藤田明史編『ガルトゥング平和学入門』法律文化社、二〇〇三年を参照。他にもガルトゥングの邦訳は多数ある。

註3 畑明郎・上園昌武編『公害湮滅の構造と環境問題』世界思想社、二〇〇七年、山崎清ほか『環境危機はつくり話か』緑風出版、二〇〇八年。

註4 寺西俊一『地球環境問題の政治経済学』東洋経済新報社、一九九二年、第4章、の説明がわかりやすい。

註5 原爆症認定近畿訴訟弁護団(安斎育郎監修)『全員勝ったで! 原爆症近畿訴訟の全面勝訴を全国に』かもがわ出版、二〇〇七年、一七頁。

註6 青山貞一「湾岸戦争と環境悪化」『世界 臨時増刊 世界を読むキーワードⅢ』岩波書店、一九九二年。

註7 坂昇二・前田栄作(小出裕章監修)『完全シミュレーション 日本を滅ぼす原発大災害』風媒社、二〇〇七年、明石昇二郎『原発崩壊』金曜日、二〇〇七年。

註8 劣化ウラン研究会『放射能兵器劣化ウラン』技術と人間二〇〇三年、森住卓『イラク 占領と核汚染』高文研二〇〇五年、ロザリー・バーテル(振津かつみほか訳)『戦争はいかに地球を破壊するか-最新兵器と生命の惑星』緑風出版二〇〇五年などを参照。

註9 ストックホルム国際平和研究所編(岸由二・伊藤嘉昭訳)『ベトナム戦争と生態系破壊』岩波書店、一九七九年

中村梧郎『戦場の枯葉剤 ベトナム・アメリカ・韓国』岩波書店、一九九五年、中村梧郎『新版 母は枯葉剤を浴びた ダイオキシンの傷あと』岩波現代文庫、二〇〇五年などを参照。

10 青木秀和『「お金」崩壊』集英社新書、二〇〇八年、二二九頁。この本の巻末のコラムは〝軍縮を語らない「温暖化防止」キャンペーンのインチキ〟と題されているが、まったくその通りであろう。乗用車の平均燃費については、石田靖彦「バイオエタノールは希望の代替燃料なのか」『週刊金曜日』2008年6月13日号。シャーマン戦車の燃費は増田善信「酸性雨調査研究会第4回市民セミナー 戦争・軍事演習と地球温暖化」2008年5月17日。

11 青木前掲書、二三一頁。ソニア・シャー(岡崎玲子訳)『石油の呪縛と人類』集英社新書、二〇〇七年、二〇五頁。

また、未見であるが、ルース・シヴァードは軍事による資源浪費に詳しい研究者で、Ruth L. Sivard, World Military and Social Expenditures  1996 World  Priorities  Incorporated 1996.などの著書がある。炭酸ガス排出は前掲増田講演による。自衛隊の炭酸ガスは、石井徹「環境元年第6部 文明ウォーズ5」『朝日新聞』200812月6日。

12 寺西俊一「環境から軍事を問う」『環境と公害』第32巻第4号、岩波書店、二〇〇三年(この号の特集は「軍事基地の閉鎖・返還と環境再生」)、マイケル・レンナー「軍事活動による環境破壊」レスター・ブラウン編(加藤三郎監訳)『地球白書199192』ダイヤモンド社、一九九一年。

13 吉田栄士「米軍横田基地と公害」『環境と公害』第26巻第2号、岩波書店、一九九六年(この号の特集は「基地と環境」)、福地曠昭『基地と環境破壊-沖縄における複合汚染』(同時代社、一九九六年)。沖縄の基地集中問題の背景は、吉田健正『「軍事植民地」沖縄』高文研、二〇〇七年を参照。

14 マティース・ワケナゲルほか(五頭美知訳)『エコロジカル・フットプリントの活用』合同出版、二〇〇五年、一六七頁。

15 戸田清「先進国の資源浪費は集団的エゴイズム」『大法輪』二〇〇七年十一月号、戸田清「アメリカ的生活様式を考える」総合人間学会編『総合人間学2 自然と人間の破壊に抗して』学文社、二〇〇八年。また、宮田律『軍産複合体のアメリカ』青灯社二〇〇六年、栁田耕一『アメリカ中毒症候群』ほんの木、二〇〇四年、ジョエル・アンドレアス(きくちゆみ監訳)『戦争中毒:アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由』合同出版、二〇〇二年、ジュリエット・ショア(森岡孝二監訳)浪費するアメリカ人:なぜ要らないものまで欲しがるか』岩波書店、二〇〇〇年も参照。

16 西山俊彦『一極覇権主義とキリスト教の役割』フリープレス、二〇〇三年、二一二頁。

17 梅林宏道『アジア米軍と新ガイドライン』岩波ブックレット、一九九八年、二五頁。

18 Gilbert Burnham et al.Mortality after the 2003 invasion of Iraqa crosssectional cluster sample surveyThe Lancetvol368pp142114282006

19 リンダ・マクウェイグ(益岡賢訳)『ピーク・オイル 石油争乱と21世紀経済の行方』作品社二〇〇五年、四五頁。

20 マイケル・クレア(柴田裕之訳)『血と油-アメリカの石油獲得戦争』NHK出版二〇〇四年、三六頁。

21 宮嶋信夫『石油資源の支配と抗争』緑風出版、一九九一年、クレア前掲書。また石油のために独裁政権を支援する欧米の政府と企業については、ソニア・シャー前掲書7章。

22 デヴィッド・グリフィン(きくちゆみ・戸田清訳)『9・11事件は謀略か 「21世紀の真珠湾攻撃」とブッシュ政権』緑風出版、二〇〇七年、木村朗編『9・11事件の省察 偽りの反テロ戦争とつくられる戦争構造』凱風社、二〇〇七年、童子丸開『「WTC(世界貿易センター)ビル崩壊」の徹底究明 破綻した米国政府の「9・11」公式説』(社会評論社、二〇〇七年。

23 広河隆一『パレスチナ 新版』岩波新書、二〇〇二年、二四二頁。

24 戸田清『環境学と平和学』新泉社、二〇〇三年。

25 「中国情報局NEWS」サイトの「たばこで死者100万人、衛生部が受動喫煙防止訴え」

 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0530&f=national_0530_001.shtml 2007年8月10日検索

26 宮澤信雄『水俣病事件四十年』葦書房、一九九七年、津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』岩波書店、二〇〇四年、戸田清「水俣病事件における食品衛生法と憲法」『総合環境研究』(長崎大学環境科学部)第八巻、第一号、二〇〇六年、宮澤信雄『水俣病事件と認定制度』熊本日日新聞社、二〇〇七年。

27 カネミ油症被害者支援センター編『カネミ油症 過去・現在・未来』緑風出版、二〇〇六年。認定患者数については、山田貴己「カネミ油症の治療拠点 研究センター開設 九大病院」『長崎新聞』二〇〇八年五月九日一面。また、カネミ油症と並ぶ「古典的な食品公害」に森永砒素ミルク事件(1955年)があるが、下記がわかりやすい。

中島貴子「森永ヒ素ミルク中毒事件50年目の課題」『社会技術研究論文集』3巻90101頁、2005

http://shakai-gijutsu.org/ronbun3/p090-101.pdf

28『水俣病の虚像と実像』チッソ水俣病関西訴訟を支える会、VHSビデオ、二〇〇四年。

29 大石又七『ビキニ事件の真実』みすず書房、二〇〇三年、八五頁。米国政府と読売新聞の協調もあって原発導入が促進された経緯については、有馬哲夫『原発・正力・CIA』新潮新書、二〇〇八年。

30 飯島伸子・渡辺伸一・藤川賢『公害被害放置の社会学 イタイイタイ病・カドミウム問題の歴史と現在』東信堂、二〇〇七年。

31 アスベストについては、粟野仁雄『アスベスト禍 国家的不作為のツケ』集英社新書、二〇〇六年などを参照。なお、〇五〜〇六年のアスベスト労災認定一覧が公表されたが、九州では長崎県の五二件(最多は佐世保重工一二件)、福岡県の三三件が突出している(「アスベスト労災事業場」『朝日新聞』二〇〇八年三月二九日、別刷り特集)。〇八年六月一二日の追加公表(六月一三日各紙)によると、三菱重工長崎造船所もやはり多い(四八件)ことがわかった。

32 土井淑平・小出裕章『人形峠ウラン鉱害裁判』批評社、二〇〇一年。

33 労働者被曝については、八木正編『原発は差別で動く』明石書店、一九八九年、藤田祐幸『知られざる原発被曝労働 : ある青年の死を追って』岩波ブックレット、一九九六年、樋口健二『闇に消される原発被曝者』御茶の水書房、二〇〇三年などを参照。

34 グローバルヒバクシャ研究会編『いまに問う ヒバクシャと戦後補償』凱風社、二〇〇六年。

35 中嶌哲演「『原発銀座・若狭』から-問い直される『もんじゅ』の意味」『えんとろぴい』五七号(エントロピー学会)二〇〇六年。原発については、小出裕章・足立明『原子力と共存できるか』かもがわ出版、一九九七年、高木仁三郎『原子力神話からの解放』(光文社、二〇〇〇年)、広河隆一『原発被曝 : 東海村とチェルノブイリの教訓』講談社、二〇〇一年などを参照。班目教授の発言は映画『六ヶ所村ラプソディ』(鎌仲ひとみ監督、二〇〇七年)による。なお、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の候補地のなかには長崎県の対馬と五島もある。また、原発より危険な原子力軍艦については、『東京湾の原子力空母』原子力空母横須賀母港化を許さない全国連絡会編(新泉社、二〇〇八年)を参照。

36 小出裕章「核と原子力は同じもの 日本の核燃料サイクルの現状」『えんとろぴい』五七号(エントロピー学会)二〇〇六年。

37 大庭里美『核拡散と原発 希望の種子を広げるために』南方新社、二〇〇五年、鈴木真奈美『核大国化する日本 平和利用と核武装論』平凡社新書、二〇〇六年、吉田義久『アメリカの核支配と日本の核武装』編集工房朔、二〇〇七年、槌田敦・藤田祐幸ほか『隠して核武装する日本』影書房、二〇〇七年などを参照。右派の議論については、中西輝政編『「日本核武装」の論点』PHP研究所、二〇〇六年。

38 木村朗『危機の時代の平和学』法律文化社、二〇〇六年。

39 肥田舜太郎『ヒロシマを生きのびて 被爆医師の戦後史』あけび書房、二〇〇四年。

40 森住前掲書、林克明・大富亮『チェチェンで何が起こっているのか』高文研、二〇〇四年。

41 日本弁護士連合会公害対策・環境保全委員会編『日本の公害輸出と環境破壊 東南アジアにおける企業進出とODA』日本評論社、一九九一年、戸田清『環境的公正を求めて』新曜社、一九九四年などを参照。

42 宮嶋信夫『大量浪費社会 大量生産・大量販売・大量廃棄の仕組み 増補版』技術と人間、一九九四年、林直道『強奪の資本主義』新日本出版社、二〇〇七年などを参照。

43 デヴィッド・ハーヴェイ(本橋哲也訳)『ニュー・インペリアリズム』青木書店二〇〇五年、同(渡辺治監訳、森田成也ほか訳)『新自由主義』作品社、二〇〇七年、栗原康『G8サミット体制とはなにか』以文社、二〇〇八年などを参照。

44 ウィリアム・フィッシャー、トマス・ポニア編(加藤哲郎監修)『もうひとつの世界は可能だ』日本経済評論社、二〇〇三年、郭洋春・戸崎純・横山正樹編『環境平和学 サブシステンスの危機にどう立ち向かうか』法律文化社、二〇〇五年、田中優『戦争って、環境問題と関係ないと思ってた』岩波ブックレット二〇〇六年明治大学軍縮平和研究所編『季刊軍縮地球市民』6号、特集 環境平和学のススメ、西田書店、二〇〇六年、ヴァンダナ・シヴァ(山本規雄訳)『アース・デモクラシー 地球と生命の多様性に根ざした民主主義』明石書店、二〇〇七年、田中優『地球温暖化 : 人類滅亡のシナリオは回避できるか』扶桑社新書二〇〇七年などを参照。

45 綿貫礼子・吉田由布子『未来世代への「戦争」が始まっている : ミナマタ・ベトナム・チェルノブイリ』岩波書店二〇〇五年。

46 自然生態系の破壊と漁業や地域社会の破壊をもたらした公共事業の例について、たとえば松橋隆司『宝の海を取り戻せ 諫早湾干拓と有明海の未来』新日本出版社、二〇〇八年を参照。野生生物との共生だけでなく、畜産物大量消費の見直しも必要であろう。ジェレミー・リフキン(北濃秋子訳)『脱牛肉文明への挑戦 繁栄と健康の神話を撃つ』ダイヤモンド社、一九九三年、チャールズ・パターソン(戸田清訳)『永遠の絶滅収容所 動物虐待とホロコースト』緑風出版、二〇〇七年を参照。

47 現存社会主義の環境問題については、たとえば次の諸文献を参照。マーシャル・ゴールドマン(都留重人監訳)『ソ連における環境汚染:進歩が何を与えたか』岩波書店、一九七三年、ボリス・カマロフ(西野健三訳)『シベリアが死ぬ時』アンヴィエル、一九七九年、ジョレス・メドヴェージェフ(梅林宏道訳)『ウラルの核惨事』技術と人間、一九八二年、ユーリー・シチェルバク(松岡信夫訳)『チェルノブイリからの証言』技術と人間、一九八八年、ユーリー・シチェルバク(松岡信夫訳)『チェルノブイリからの証言 続』技術と人間、一九八九年、ジョレス・メドヴェージェフ(吉本晋一郎訳)『チェルノブイリの遺産』みすず書房、一九九二年、中国研究所編『中国の環境問題』新評論、一九九五年、戴晴編(鷲見一夫ほか訳)『三峡ダム:建設の是非をめぐっての論争』築地書館、一九九六年、森住卓『セミパラチンスク 草原の民・核汚染の50年』高文研、一九九九年、鷲見一夫ほか『三峡ダムと住民移転問題:一〇〇万人以上の住民を立ち退かせることができるのか?』明窓出版、二〇〇三年、エリザベス・エコノミー(片岡夏実訳)『中国環境リポート』築地書館、二〇〇五年、原剛編『中国は持続可能な社会か 農業と環境問題から検証する』同友館、二〇〇五年、寺西俊一監修(東アジア環境情報発伝所編)『環境共同体としての日中韓』集英社新書、二〇〇六年、相川泰『中国汚染 「公害大陸」の環境報告』ソフトバンク新書、二〇〇八年。

48 キューバについては、たとえば次の諸文献を参照。首都圏コープ事業連合編『有機農業大国キューバの風』緑風出版、二〇〇二年、吉田太郎『200万都市が有機野菜で自給できるわけ:都市農業大国キューバ・リポート』築地書館、二〇〇二年、同『有機農業が国を変えた:小さなキューバの大きな実験』コモンズ、二〇〇二年、同『1000万人が反グローバリズムで自給・自立できるわけ : スローライフ大国キューバ・リポート』築地書館、二〇〇四年、同『世界がキューバ医療を手本にするわけ』築地書館、二〇〇七年、同『世界がキューバの高学力に注目するわけ』築地書館、二〇〇八年、吉田沙由里(アレイダ・ゲバラ寄稿)『小さな国の大きな奇跡 キューバ人が心豊かに暮らす理由 』WAVE出版、二〇〇八年。

49 エコ社会主義については、たとえば次の諸文献を参照。アンドレ・ゴルツ、高橋武智訳『エコロジスト宣言』緑風出版、一九八三年、いいだもも『赤と緑:社会主義とエコロジスム』、緑風出版、一九八六年、メアリ・メラー、寿福真美・後藤浩子訳『境界線を破る! :エコ・フェミ社会主義に向かって』新評論、一九九三年、キャロリン・マーチャント(川本隆史ほか訳)『ラディカル・エコロジー 住みよい世界を求めて』産業図書、一九九四年、デヴィッド・ペッパー、小倉武一(『エコロジーの社会 生態社会主義』農山漁村文化協会、一九九六年、武田一博『市場社会から共生社会へ』青木書店、一九九八年、ジョン・ベラミー・フォスター(渡辺景子訳)『破壊されゆく地球』こぶし書房、二〇〇一年、韓立新『エコロジーとマルクス』時潮社、二〇〇一年、佐々木力『21世紀のマルクス主義』ちくま学芸文庫、二〇〇六年、島崎隆『エコマルクス主義』知泉書房、二〇〇七年、杉田聡『「日本は先進国」のウソ』平凡社新書、二〇〇八年、Joel KovelThe Enemy of NatureThe End of Capitalism or the End of the Worldsecond editionZed Books2007.(戸田清訳『自然の敵(仮題)』緑風出版、近刊)

50 戸田前掲『環境学と平和学』

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