『応用倫理学事典』編集代表加藤尚武(丸善2008年1月)

木村朗、小出裕章、纐纈厚、土佐弘之ほか合計202名の共著

掲載原稿の「ソーシャル・エコロジー」に文献1点(福永2003)を加筆

「環境正義」に文献1点(本田・デアンジェリス2000)を加筆

2008年2月7日ウェブサイト掲載

 

「ソーシャル・エコロジー social ecology152153

●ソーシャル・エコロジーの定義

アメリカの思想家マレイ・ブクチン(19212006)は、人間社会のヒエラルキー(上下関係)が環境破壊を激化させることを1960年代から強調してきた。企業城下町といわれる大企業の地域社会支配が水俣病をはじめとする公害を激化させたこと、国家による資源や人材の集中的支配が原爆開発を可能にしたことを想起すれば頷けるであろう。宇井純には、「中央集権が公害を激化させる」という名言がある。ブクチンに始まるソーシャル・エコロジーの思想(エコ・アナーキズムともいう)は、資本主義の枠内で改良を試みる「リベラルな環境主義」と、人間社会内部のヒエラルキーを軽視して人間と自然の対立を強調し、極端な生命中心主義・自然中心主義や人口の大幅減少を提唱する「ディープ・エコロジー」を同時に批判する。利潤のために不必要な商品の消費をあおる資本主義が環境問題を解決できないことだけでなく、高級官僚に権限を集中させる(資本主義とはタイプの異なるヒエラルキー)とともに、浪費的なアメリカ的生活様式への代案を提示できなかった権威主義的社会主義(ソ連型社会主義のいわゆる生産力主義)の病理の1つとして深刻な環境破壊があることも、ソ連崩壊よりずっと前から見抜いていた。ブクチンの思想は、クロポトキンやバクーニンなどのアナーキズムから大きな影響を受けるとともに、ヘーゲル、マルクス、フランクフルト学派などの思想を批判的に取り入れながら形成されてきたものである。

人間による人間の支配が、大規模な自然への介入を可能にし、人間の自然支配と自然破壊をもたらすという洞察から、ソーシャル・エコロジーは、資本主義とも権威主義的社会主義とも異なる、平等で持続可能な社会を構想する。それは、地方分権化され、食料やエネルギーなどの地域自給を基本とするリバタリアン(libertarian)地域社会が、それぞれが孤立することなくゆるやかに連帯するものである。なお、リバタリアン地域主義と、極端の市場原理を主張する保守思想の「リバタリアニズム」を混同しないように注意が必要である。

また、自治体の自己責任強調による弱小自治体の切り捨て(日本政府は地方債の自由化、地方債償還への交付税措置廃止を計画している)のような似非分権(新自由主義)にも注意する必要があろう。人間社会の内部のヒエラルキー(長老と若者、男と女、専門家と素人、資本家と労働者、高級官僚と民衆)を克服することを通じて持続可能で平等な社会をめざそうとする「ソーシャル」なエコロジーは、強権的な人間管理を通じて環境負荷をおさえようとする「エコファシズム」と対極にあるとともに、環境正義、生命地域主義、エコフェミニズムなどの思想とは親和的である。ブクチンの自然哲学は、人類史を含む自然史を自由、合理性、多様性、連帯の増大としてとらえるものであり、「弁証法的自然主義」と呼ばれる。

なお、ソーシャル・エコロジーとエコマルクス主義には共通点と相違点があることに注意してほしい。

●ソーシャル・エコロジーの倫理

 人間社会の様々なヒエラルキーのなかで、マルクス主義は資本と労働のヒエラルキーに力点をおき(その過程で国家エリートと民衆のヒエラルキーが軽視されてしまった)、フェミニズムが男と女のヒエラルキーに力点をおくのに対して、アナーキズムはヒエラルキー総体を問題にしようとする思想であるといえよう。ソーシャル・エコロジーにもそれはあてはまる。その反面「抽象論に陥る」「同じことを繰り返す」「現状分析が弱くなる」ことがあるとの指摘もある。

 人間社会の不平等が環境破壊を激化させ、その環境破壊の影響は弱者に集中するという認識を共有しているので、「ソーシャル・エコロジーの倫理」を論じようとすると、「環境正義の倫理」とかなり重なってしまう。ソーシャル・エコロジーが特に強調するのは地域分権(東京やソウルの一極集中とは対極)であり、強者中心のグローバル化であろうか。フランスの農民運動家ジョゼ・ボヴェが、経済のグローバル化、マクドナルド的食文化、巨大企業支配を強める遺伝子組み換え作物に反対して地域の個性的農業を守ろうとするのは、アナーキズム的、ソーシャル・エコロジー的な実践のひとつの典型である。

経済的グローバル化、軍事的グローバル化を推進する米国政府が、人権のグローバル化や環境政策のグローバル化に消極的であることにも留意しておきたい。京都議定書離脱、包括的核実験禁止条約の否定、国際人権規約の軽視(その議定書のひとつは1989年の死刑廃止条約であり、先進国で死刑を存置しているのは米国と日本だけである)、国際法違反の戦争や捕虜虐待などである。

もうひとつの世界を求める「世界社会フォーラム」の運動や、営利企業・国営企業よりも協働組合を重視する「連帯経済」の構想にもアナーキズム的、ソーシャル・エコロジー的な発想はかなり浸透していると言ってよい。

□参考文献

[1]尾関周二、亀山純生、武田一博編『環境思想キーワード』青木書店、2005

[2]マレイ・ブクチン、戸田清ほか訳『エコロジーと社会』白水社、1996

[3]ジョゼ・ボヴェ,フランソワ・デュフール、新谷淳一訳『地球は売り物じゃない!  ジャンクフードと闘う農民たち』紀伊國屋書店、2001

[4]キャロリン・マーチャント、川本隆史ほか訳『ラディカル・エコロジー』産業図書、1994

[5]島崎隆『エコマルクス主義』知泉書館、2007

[6]三浦永光『環境思想と社会』御茶の水書房、2006

[7]福永真弓「ソーシャル・エコロジーの射程−「環境的正義」をめぐって」唯物論研究協会編『唯物論研究年誌第8号 現在のナショナリズム』青木書店、2003年、313338頁。

 

 

「環境正義 environmental justice162163

●環境正義の定義

環境正義とは、環境保全と社会的正義・公正・平等を統合する思想である。環境破壊に「金持ちや権力者が壊して、貧乏人が被害を受ける」というような構造があることは、かねてから指摘されてきた。欧米人や日本人が資源を浪費することで、第三世界や将来世代、さらには自然界が犠牲を被ることも、よく議論される。持続可能で公平な社会をつくろうとするのが、環境正義の思想である。従来の開発主義とはもちろんのこと、いわゆる「エコファシズム」(人間の内部での格差を維持したまま、人間と自然界の均衡をはかる考え方)とも対極にある思想である。

 環境正義という言葉は、環境人種差別(environmental racism)という言葉とセットのようにして、1982年頃にアメリカでよく使われるようになった。アフリカ系アメリカ人(黒人)やアメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の居住地域の近くに有害廃棄物処分場などが立地されることが多い問題などが、公民権運動の経験者などによって、環境面の差別としてとらえられるようになったためである。アメリカの社会学者でアフリカ系のロバート・ブラードなどが先駆的な研究者としてよく知られている

●環境正義の事例

 アメリカの環境正義や環境人種差別の文脈でとりあげられる典型的な事例については、ジャーナリスト、マーク・ダウィの説明がわかりやすい。彼は、次のような例をあげている。

・アフリカ系米国人の乳児の血中鉛濃度が高い。工場、塗料、有鉛ガソリン(日本より規制が遅れた)などが原因である。

・EPA(連邦政府の環境保護庁)の研究によると、有害廃棄物処分場はアフリカ系、ヒスパニック系低所得層の地域社会に立地されることが多い。焼却炉の立地する地域社会の有色人種比率(アフリカ系、アジア系、太平洋諸島系、先住民)が高い

・ウラン鉱山と放射性廃棄物の影響は、先住民保留地に集中している。ナバホ民族の10代の癌が全国平均の17倍になる。

・ヒスパニック系農業労働者に農薬中毒が多い。レーガン政権はEPAによる農薬中毒の統計作成を中止させた。

・大都市中心部の黒人は大気汚染で喘息になる人が多い。死亡率は白人の5倍になる。

・主流環境団体の3分の1は有色人種のスタッフがいない。

また、日本企業の行動が米国の環境正義の文脈で問題にされることもある。たとえば、大手プラスチック会社信越化学が黒人低所得層の多い地域に塩化ビニル工場を立地しようとして、環境人種差別であると問題になった

こうした環境格差、健康格差の問題は、我が国では経済学者の宮本憲一が1975年に、「公害の被害は生物的弱者や社会的弱者に集中する傾向がある」とまとめている。小泉政権時代に「格差社会」への関心が高まるなかで、経済格差と並んで「健康格差」の問題も改めて注目されるようになってきた。低賃金労働者はうつ病になりやすいなどの問題である。

●環境正義の倫理

クリントン大統領は1994年に環境正義に関する大統領命令を出し、EPAに「環境正義事務局」を設置した。しかし、米国政府のいう環境正義は「国内マイノリティ(アフリカ系、先住民、メキシコ系)の環境運動への支援」に限定され、核政策や大国主義(帝国主義)と両立可能とされているような気がしてならない。ブッシュ政権といえども、EPAの環境正義担当部門を廃止してはいない。けれども、環境正義は、EPAの国内政策課題のひとつにとどまる。たとえば、環境正義の視点でペンタゴン(アメリカの国防総省)の政策を見直すと「大変」なことになる。劣化ウラン兵器などの使用はもちろんのこと、アフガニスタン侵攻やイラク侵攻自体が許されないという当然の結論になるからだ。

世界に占めるアメリカのシェアは、人口5%、喫煙関連疾患10%、化石燃料消費25%、石油消費25%、炭酸ガス排出25%、紙消費25%、牛肉消費25%、原発の数25%、GDP30%、銃保有30%、自動車保有30%、軍事費50%、違法麻薬消費50%、戦略核兵器53%であるという。アメリカの資源浪費を維持するために、ときには戦争が「必要」になることを示唆しているようだ。ちなみに世界の広告費に占めるシェアは、アメリカが66%、日本が12%である。また、環境負荷や資源消費を面積に換算する「エコロジカル・フットプリント分析」という手法によると、世界中が平均的アメリカ人並みの消費をすると「5.3個の地球」が、日本人並みの消費では「2.4個の地球」が「必要」になる。

欧米や日本の石油文明は「大量採取・大量生産・大量消費・大量廃棄」(見田宗介)のシステムを形成した。「先進国だけが短期間のみ享受できる石油浪費文明」を超えて、「平等で持続可能な人類社会」をつくることが、環境正義の最大の課題であろう。「格差社会」が地球規模で問われており、そのなかに経済(所得や資産)とともに資源・環境や健康の側面もあるといえる。

□参考文献

[1]尾関周二、亀山純生、武田一博編『環境思想キーワード』青木書店、2005

[2]石山徳子『米国先住民族と核廃棄物 環境正義をめぐる闘争』明石書店、2004

[3]マーク・ダウィ、戸田清訳『草の根環境主義』日本経済評論社1998

[4]戸田清『環境的公正を求めて』新曜社1994

[5]マティース・ワケナゲル他,五頭美知訳『エコロジカル・フットプリントの活用』インターシフト、2005

[6]本田雅和、風砂子デアンジェリス『環境レイシズム アメリカ「がん回廊」を行く』解放出版社、2000

 

 

「人口爆発population explosion182183

●人口問題の概要

 イエス・キリストの頃の世界人口は1億人、マルサス『人口論』が書かれた頃の人口は10億人、20世紀に人口は15億人から60億人に増えた。「1世紀で4倍増」は初めてである。21世紀の人口ピークが100億人を超えるかどうかはまだわからない(国連の低位推計では下回る)。人類史のなかの人口ピークは21世紀に訪れ、22世紀には人口は減少すると予測されている。人類700万年の歴史(チンパンジー属の共通祖先と分岐してから)でみると、20世紀は確かに「人口爆発の世紀」であろう。中国はいま13億人、インドは11億人であるが、今世紀半ばまでにインドの人口は中国を上回るとの予測が有力である。アフリカ諸国についても人口爆発の予測があったが、エイズ危機で打撃を受けている。他方先進国は「少子高齢化」である。人口増加の先進国は米国だけで、最近3億人を超えたが、もちろん自然増ではなく移民によるものだ。なお、年増加率(%)と倍増期間(年)の積は約70である。

 人口増加がもたらす問題として、多くの研究者により、次のような点が指摘されている。食料の危機。再生不能資源(石油、石炭など)の枯渇、自然生態系の危機、環境汚染の拡大、疫病の増加、資源争奪による武力紛争の増加、雇用・医療・社会保障などの困難。

 しかし、人口爆発だけが問題なのか? 社会的、環境的な影響を考えるには、「人口爆発」と「消費爆発」を同時に考えなければならない。先進国の1人あたり資源消費(エネルギー、電力、紙、アルミ、自動車台数などを思い浮かべるとよい)は発展途上国の数倍、数十倍、数百倍になる。たとえば年間1人あたり紙消費量はアメリカ300キロ、ヨーロッパ・日本200キロ台に対して、1キロ未満の国も少なくない。環境負荷の点では、発展途上国の人口爆発よりも先進国の消費爆発の方が大きな問題である。それなのに、消費爆発(浪費)への注目度は低い。たとえば、朝日新聞の記事データベース(1984年以降)で検索すると、「人口爆発」の393件に対して「消費爆発」は1件(1997年2月2日の社説)にすぎない。

 野生動植物の個体数問題は個体数と資源の関係で決まるが、人間は資源消費量の個体間格差、集団間格差がきわめて大きく、世界社会には浪費と絶対的貧困が共存している。

 有名なエーリックの公式i=PATを念頭におく必要がある。ここで、I(impact)は環境負荷、P(population)は人口、A(affluence)は豊かさ(1人あたりの消費量)、T(technology)は技術の質(消費量あたりの環境負荷)である。先進国(物質的に豊かな社会)では、1人あたりの消費量がとても大きい。電力消費量が同じでも、選択する技術の質によって、たとえば原発、石炭火力、大型ダムなどでは環境負荷が大きくなる。

●人口問題の倫理

 リオデジャネイロで地球サミット(国連環境開発会議)が開かれた1992年に、ポール・エーリックはこう述べている。「1人あたりの消費量に人口を乗じた積が環境に与える影響の大きさだとすると、[人口問題が]最も深刻なのはアメリカだ。アメリカは[中国、インドに次いで]世界第3位の人口を抱えている。高度消費社会でもあるし、科学技術の使い方もずさんで非効率的だ。環境にはかり知れない影響を与えている」先進国の浪費(過剰消費、消費爆発)をおさえることが最優先の課題である。地球は有限なので、先進国(および発展途上国の特権階級)の浪費と発展途上国(特に最貧国)の貧困のあいだには、因果関係があると考えざるを得ない。また、本事典の「環境正義」の項目で述べているように、先進国特にアメリカは、浪費を維持するために軍事力を行使するのではないか(たとえば「石油のための戦争」)と思われるふしがある。

地球人口66億人のうち、10億人が飽食、10億人が飢餓と言われる。いま多くの人が飢えているのは、食料生産の不足自体が原因ではなく、貧富の格差で購買力のない人が多いこと、内戦などによる流通の破壊など、様々な要因によるものである。しかし、このまま人口が増え、農地の他用途への転換や異常気象、地球温暖化による食料生産の破壊によって、21世紀後半には、「食料の絶対的不足」が発生するおそれがある。人口爆発の抑制はやはり大切である。そのためには、避妊薬の普及なども意味がないわけではないが、雇用の促進や老後の保障などで子沢山に頼らないですむようにすること、女性の地位向上など総合的な対策が必要である。ラッペとシュアマンによる人口抑制の成功例の研究なども参考になるだろう。

また、国家の人口政策の倫理についての議論も重要であろう。インドで1970年代に行われた半強制的な不妊手術や中国の一人っ子政策などについて、人権や民主主義の観点から疑問が提示されている。中国では、女子胎児の中絶や女子新生児の嬰児殺しが見られ、男女比が崩れているとの指摘もある。インドでは1980年代以降に一部の病院が出生前診断により女子胎児中絶を行って物議をかもしたことがある。女性に使われる避妊薬の安全性問題もある(デポプロベラの注射やノアプラントの皮下埋め込みなど)。

□参考文献

[1]ポール・エーリックほか、水谷美穂訳『人口が爆発する!』新曜社、1994

[2]芦野由利子・戸田清『人口危機のゆくえ』岩波ジュニア新書、1996

[3]フランシス・ムア・ラッペ、レイチェル・シュアマン、戸田清訳『権力構造としての<人口問題>』新曜社、1998

[4]尾関周二、亀山純生、武田一博編『環境思想キーワード』青木書店、東京、2005

 

 

「農薬と化学薬品pesticides and synthetic chemicals198199

●農薬と化学薬品の概要

 「農薬」は法的には農薬取締法の対象物質であり、殺虫剤、殺菌剤、除草剤、殺鼠剤、植物成長調整剤などに分けられる。輸入レモン、グレープフルーツの防かび剤としてアメリカ政府の外圧などにより1977年に指定されたOPP(オルトフェニルフェノール。動物実験で発癌性がある)は本来農薬のはずであるが、食品添加物(食品衛生法の対象)として指定されてしまった。農薬と食品添加物の境界は曖昧である。「化学薬品」というのもわかりにくい言葉で、法的、学問的な定義があるわけではなく、市民運動用語、マスコミ用語と言ってよい。おおまかには「天然物質(主に生体成分)」に対する「化学的合成品」が化学薬品であると理解してよいだろう。農薬、工業用化学物質、プラスチック、合成ゴム、食品添加物、飼料添加物、医薬品などが含まれる。もちろん、「化学的合成品は天然物質より有害である」などと一概に言えるわけではない。天然物質のなかにもカビ毒アフラトキシンやボツリヌス菌毒素のような猛毒がある。

 しかし、化学的合成品は人間が「有用性」だけを考慮して合成したものであり、生命40億年の歴史によって構築されてきた世界にとって異質なものが少なくないことも事実である。つまり、人体や生態系になじみにくいということである。例えば有機塩素化合物(塩素と炭素の結合を有する炭素化合物)は、生物界においては抗生物質クロラムフェニコール(細菌がつくる)などきわめて例外的に見られるに過ぎないが、人間は19世紀以来、膨大な種類の有機塩素化合物を作り出し、商品化してきた。DDT、BHC、クロルデン、エンドリン、ディルドリン、2,4,5−T(以上は農薬)、塩化ビニル(プラスチック)、PCB(工業用化学物質)などである。商品でなく非意図的な生成物としては、ダイオキシン類などがある。

 有機塩素化合物が生態系に及ぼす影響は、殺虫剤DDTなどをとりあげたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』(原著1962年、邦訳は新潮文庫)によって注目されるようになった。生態系破壊や健康への影響だけでなく、病害虫が耐性、抵抗性を獲得するため、有効性が低下し、新たな農薬を投入しなければならないという問題もある(医療の抗生物質耐性菌と似ている)。その後、コルボーンらの『奪われし未来』(原著1996年、邦訳は翔泳社)によって、いわゆる環境ホルモン作用も注目されるようになった。

化学汚染の恐怖を印象づけた典型的な事例のひとつは、「ベトナム枯葉作戦」(19611971年。米軍による熱帯林破壊、食料生産破壊のための農薬軍事利用)であろう。不純物ダイオキシン類のため、来日したベトちゃん、ドクちゃんのように、先天異常などが多発した。被害は3世代目にも及ぼうとしている。ベトナム枯葉作戦のことはよく知られているが、現在進行中の「コロンビア枯葉作戦」(朝日新聞2007年2月4日「時時刻刻」に特集記事)は知名度が低い。麻薬コカインの原料となるコカ栽培撲滅のためアメリカの援助でモンサント社の除草剤ラウンドアップ(動物実験で発癌性の報告もある)を撒布するもので、隣国エクアドルにも飛散している。子供の死亡や、頭痛、吐き気、皮膚の変色などの被害が出ている。ちなみに遺伝子組み換え作物の分野でも、モンサント社の除草剤耐性作物販売によってラウンドアップの消費量が増えている。

また、薬害も商品の化学汚染のひとつのカテゴリーである。薬害の原因には、化学薬品(化学的合成品)の他にウイルス(薬害エイズ、薬害肝炎)などもある。日本は戦後長らく(今なお)「薬害大国」であった。キノホルムは本来アメーバ赤痢の薬であったが、企業の営利追求のため不適切な用途に多用され、日本は「スモン病大国」となった。古典的なサリドマイドから、陣痛促進剤や、地裁・高裁で係争中(2007年現在。2008年に和解)のC型肝炎まで、様々な事例がある。

●農薬と化学薬品の倫理

化学汚染の教訓から、予防原則(不確実な段階で措置をとるもので「疑わしきは規制する」と説明されることもある)の重要性が指摘されるようになった。安全なものを間違って規制する(早とちりのため、企業の金銭的損失を招く)よりも、危険なものを間違って放置する(見逃しのため、集団的な健康被害が発生する)の方が重大だという考えによるものだ。欧州環境庁の事例研究などを参照されたい。また、予防原則が、刑事裁判の推定無罪原則(冤罪を予防するため、疑わしきは処罰しない)のちょうど逆であることに注意してほしい。人権の観点から、人には推定無罪原則、モノには予防原則なのである。化学汚染についての情報共有も不可欠であると思う。高校の教科書で4大公害や地球環境問題は教えるが、食品公害や薬害は無視するというのは、やはり問題であろう。

□参考文献

[1]ロバート・バンデンボッシュ、矢野宏二訳『農薬の陰謀』社会思想社、1984

[2]植村振作ほか『農薬毒性の事典』第3版、三省堂、2006

[3]泉邦彦『化学汚染』新日本新書、1999

[4]欧州環境庁編、松崎早苗監訳『レイト・レッスンズ 14の事例から学ぶ予防』七つ森書館、2005

[5]全国薬害被害者団体連絡協議会編『薬害が消される! 教科書に載らない6つの真実』さいろ社、2000

[6]井本里士『薬害ヤコブ病 見過ごされた警告』かもがわ出版,1999

[7]フジテレビC型肝炎取材班『ドキュメント検証C型肝炎 薬害を放置した国の大罪』小学館、2004

[8]レ・カオ・ダイ、尾崎望訳『ベトナム戦争におけるエージェントオレンジ』文理閣、2004

 

 

「食品公害food pollution204205

●食品公害の定義

 「食品公害」という言葉は、戦後日本で、森永砒素ミルク事件やカネミ油症事件を契機に広く使われるようになった。法的な定義あるいは学問的な定義があるわけではなく、どちらかと言えば市民運動用語、マスコミ用語と言ってよい。おおまかには、「加工食品の製造工程において有害物質が混入し、健康被害を生じる事件」を指すと理解してよい。水俣病のように生鮮食品が汚染した場合はあまり「食品公害」とは言わない。放射能汚染食品、放射線照射食品、細菌・ウイルスなどの生物的因子による食品汚染、残留農薬で汚染した野菜、残留抗生物質で汚染した畜産物などについても「食品公害」という言葉を使わないのがふつうである。しかしこれら様々な「食品の安全性問題」をいわゆる「食品公害」と比較して考察すべきことは当然であろう。

「食品公害」が主として加工食品の化学汚染による被害をさすので、生鮮食品の汚染による被害(魚介類による水俣病や、牛肉によるBSEなど)を含めて言う場合は、とりあえず「食品被害」などの言葉を用いることができるだろう。2007年現在大きな話題になっているのはBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)であるが、日本の「全頭検査」に対してアメリカは0.1〜1%の「抜き取り検査」であることなど、「畜産大国アメリカ」のあり方などをめぐる日米摩擦の原因にもなっている。

●食品公害の事例

 古典的な3つの事例について紹介する。

森永砒素ミルク事件は、1955年に西日本を中心に発生した。森永乳業徳島工場で製造した粉乳の製造過程で、酸度の上昇した牛乳を中和する目的で乳質安定剤として工業用の第二燐酸ナトリウムが使われたが、それに不純物として数%もの砒素が含まれていた。人工栄養児約130名が死亡し、1万人を超す被害者が出た。当初後遺症は軽視されていたが、養護教諭、保健師らによる1969年の調査で被害が再確認された。森永製品ボイコット運動、国と森永乳業に損害賠償を請求する民事訴訟(1973年4月提訴)へと広がっていった。

 カネミ油症事件は、1968年秋に福岡、長崎をはじめ西日本一帯で発生した。カネミ倉庫北九州工場で製造した米糠油に、脱臭工程を効率化するために使われたPCBが混入したためである。1969年2月以降次々と民事訴訟が提起された。油症の症状は当初は皮膚症状が目立っていたが、全身症状であることがわかってきた。1万数千人の被害者が出たが、油症と認定されたのは約2000人にすぎない。1980年代には、原因物質としてPCBよりもむしろその不純物であるダイオキシン類が重要であることがわかった。ダイオキシン類の微量分析が困難であったので、血液中ダイオキシン濃度が診断基準に追加されたのはようやく2004年のことであった。新たに認定された被害者はわずかである。1968年春に飼料に添加されたダーク油(同じ会社の製品で、製造工程の一部も共通)による鶏の大量死事件が発生したが、このとき十分な調査をしていれば、カネミ油症の拡大はおさえられたはずである。飼料(農林省)と食品(厚生省)の縦割り行政の弊害でもあった。民事訴訟では高裁で原告が勝訴して国から損害賠償金が仮払いされた。しかし原告は最高裁で敗訴することを予想して裁判を取り下げた。そのため債務が発生し、1997年から国(農林省)は元原告に仮払金の返還請求を始めた。10年のあいだに仮払金は医療費や生活費に使われており、返済できないことを苦にして自殺した人もいると指摘されている。1979年に台湾油症事件も発生した。

昭和電工トリプトファン事件は1989年にアメリカを中心に発生した。トリプトファンが「抑鬱状態、不眠症、月経前緊張症に効く」などの宣伝で「健康食品」として販売されており、不純物によると思われる「好酸球増多筋肉痛症候群」という被害が多発した。死者38人、被害者約1万人を出した。そもそも必要のない商品(普通の食生活で十分にとれる)であり、昭和電工が精製過程で手抜きをしたために不純物が残ったと推測されている。製造工程では遺伝子組み換え技術が用いられた。昭和電工は民事訴訟で多数の和解をして多額の賠償金を払った。他社(味の素、協和醗酵など)のトリプトファンでは被害は出なかった。

●食品公害の倫理

高校の社会科の教科書には、4大公害(熊本と新潟の水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息)と地球環境問題のことは出ているが、食品公害や薬害についてはまったく言及がない。カネミ油症を事例に倫理的な含意を検討してみよう。「仮払金返還問題」は、「政府による合法的な公害病患者いじめ」であって、世界的にもほとんど例をみないのではないだろうか。2006年の国会では教育基本法の改変や防衛庁の省昇格が優先され、油症被害者救済法案は先送りとなった(2007年に救済法が成立)。食中毒は「暴露有症者の全員救済」が原則で、水俣病やカネミ油症のように化学性食中毒であるにもかかわらず厳格な認定基準を用いて被害者を選別するのは、食品衛生法の趣旨に反する。油症の場合、特異症状偏重、皮膚症状偏重の診断基準の見直しが必要であろう。油症の原因企業は小企業であるので、認定患者への補償でさえ僅かだ。企業、行政、政治、学者、教育などの倫理が厳しく問われていると言える。

□参考文献

[1]川名英之『ドキュメント日本の公害 第3巻 薬害・食品公害』緑風出版、1989

[2]藤原邦達『食品公害の脅威』合同出版、1981年。

[3]カネミ油症被害者支援センター編『カネミ油症 過去・現在・未来』緑風出版、2006年。

[4]ドナルド・スタル、マイケル・ブロードウェイ、中谷和男・山内一也訳『だから、アメリカの牛肉は危ない! 北米牛肉産業恐怖の実態』河出書房新社、2004

 

索引用語

環境正義(environmental justice)、環境人種差別(environmental racism)、

ソーシャル・エコロジー(social ecology)、人口爆発(population explosion)、消費爆発(explosive increase of consumption)、エコアナーキズム(ecoanarchism)、エコマルクス主義(ecomarxism)、ディープ・エコロジー(deep ecology)、農薬(pesticide)、薬害(drug-induced disease)、食品公害(food pollution)、有害廃棄物(hazardous waste)、環境保護庁(EPA;Environmental Protection Agency)、劣化ウラン(depleted uranium)、権威主義的社会主義(authoritarian socialism)、資本主義(capitalism)、新自由主義(neoliberalism)、

絶対的貧困(absolute poverty)、食品添加物(food additive)、有機塩素化合物(chlorinated organic compound

 

ソーシャル・エコロジー キーワード:ブクチン

環境正義 キーワード:環境レイシズム

人口爆発 キーワード:エーリック

農薬と化学薬品 キーワード:『沈黙の春』、『奪われし未来』、耐性、環境ホルモン、予防原則

食品公害 キーワード:森永砒素ミルク事件、カネミ油症事件、昭和電工トリプトファン事件


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