「水俣病・カネミ油症・福島原発事故の比較」

  戸田清(長崎大学教員) 2012年5月26日 10月8日改訂 

 

 企業の失敗・政府の失敗・学者の失敗が複合した人災の代表的なものとして、水俣病・カネミ油症・福島原発事故の比較してみたい。

 

1.水俣病

日本人の大半(「環境学」などの専門家も含む)が水俣病問題を誤解しているように思われる。拙著の一節を引用する。「私見によれば、公害環境問題の構造を理解するために少なくとも次の3つの問題を理解することがきわめて重要である。

公害の原点 水俣病、最大の公害 煙草問題(死ぬ人が多い)、最長の公害 核問題(万年単位)

 水俣病の公式発見は1956年、チッソによる水銀の海洋放出が始まったのは1932年であるから、水俣病(有機水銀が食物連鎖を通じて生物濃縮され、その魚介類を食べて、あるいは胎盤から移行して発症)の始まりは1930年代であると推察される。学校教育では「解決済みの問題」として教えることが多いようだ。しかし現在もなされるべきことがなされておらず、その背景には国家、企業、専門家、市民の意識にかかわる構造的な問題がある。水俣病関西訴訟最高裁判決(2004年)を経た現段階において最優先課題は次の2点である。

昭和521977]年判断条件の見直し、2009年水俣病特措法の見直し

 詳細は拙著(戸田2009)および関連文献(津田2004;宮澤2007;全日本民医連2010)を参照されたい。水俣病特措法はチッソ救済法、被害者切り捨て法と言われたが、2011年8月3日に成立した原子力賠償支援機構法も、東電救済法、被害者切り捨て法と言われている。公害の原点である水俣病への対応の問題点を理解することで、日本社会の構造的な問題点が見えてくる。」(戸田2012:2−4)

 1995年と2009年の政治決着では、未認定患者の一部を水俣病認定せずに救済対象とするもので、「救済」される人は「水俣病であるともないともいえない」という中途半端な位置づけを与えられたことになる。1995年政治決着の期間が終わろうとする2008年に、認定患者2960人(生存855人)、医療・保健・新保健手帳交付者(認定せず救済)28600人、認定申請者5992人であった(戸田200912)。

2009年特措法による政治決着でも、生年や地域による線引きがある。生年による線引き(196911月)では、196912月以降生まれの人はへその緒の水銀値だけで決めており、特措法認定が困難になる。県の基準は1ppm以上。1972年生まれのある男性は0.223ppm(平均の倍)であったがもちろん却下された。特措法の申請は2012年7月で締め切りの予定であるが、4月末現在5万人が申請している(NHKニュース2012年5月1日)。地域による線引きでは、指定地域が1995年のときよりも狭くなっている(全日本民主医療機関連合会編201047の地図を参照)。指定地域の対岸にも患者がおり、指定地域の外の山間部にも行商から魚を購入したためとみられる患者のいることが、最近の調査でわかってきた(NHK2012)。加害者救済(今回はチッソ分社化)と被害者切り捨ての歴史が繰り返されようとしている。

 

表1 水俣病の年表

1932年 水銀触媒の使用開始

1956年 水俣病の公式発見

1959年 有機水銀中毒と判明。認定開始

1968年 政府が公害病と認める

1971年 「いずれかの症状」で認定する通知。大石武一環境庁長官。

1977年 「症状の組み合わせ」を要する昭和52年判断条件(認定基準改悪)。石原慎太郎環境庁長官。

1991年 中央公害対策審議会の会合で環境庁担当者が「水俣病には医学的な診断基準はなく、行政が作った52年判断条件がその代わりをしている」と発言(宮澤200751)。

1995年 未認定患者の一部を認定せずに救済対象とする政治決着

1998年 日本精神神経学会が昭和52年判断条件は科学的に誤りであると指摘。

20041015日 水俣病関西訴訟で最高裁勝訴。昭和52年判断条件を間接的に否定。

2009年7月15日 「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」(水俣病特措法)成立(反対は共産党、社民党)。チッソ分社化、未認定患者の一部を認定せずに救済対象とする2回目の政治決着

2009年9月 民医連ほか水俣病大検診

2012年2月27日 水俣病熊本訴訟(地裁では敗訴)で福岡高裁逆転勝訴。昭和52年判断条件を否定。

2012年4月8日、環境副大臣が被害者掘り起こし検診について「申請を締め切った後は、慎んでもらいたい。他の団体にも迷惑」と発言。後に謝罪。

2012年4月12日 水俣病大阪訴訟(地裁では勝訴)で大阪高裁逆転敗訴。昭和52年判断条件を肯定。

2012年6月 民医連ほか水俣病大検診の予定

2012年7月31日 特措法申請を打ち切り強行。不知火患者会は「歴史的暴挙」と抗議。

 

2.カネミ油症

カネミ油症は水俣病と同様に化学性食中毒であり、PCBとPCDF(ダイオキシン)の複合汚染である。主因はPCDFである。診定基準(認定基準)は1968年の制定以来、微修正はあるが、「皮膚症状偏重」の基調は変わらず、油症が「全身病」である実態が反映されていない(NHK2005、カネミ油症被害者支援センター編2006、原田2010)。2004年基準改訂以降も、PCDF濃度が低い(30pg/g未満)と棄却される。しかし、1968年以来約40年を経過し、血中濃度に大きな個人差が出るのは当然である。認定患者で「基準」を下回る人もいる。カネミ油症事件では14000人以上」(最終的に保健所が集計した被害届者は14,320 人。カネミ油症被害者支援センターご教示)が被害を届け出たが、患者として認定されたのは約2000人(2011331日現在で1955名)にすぎない。

「全身病」であることを直視した認定基準の改訂が必要である。教科書の「4大公害」で誰もが知る水俣病に比べて、カネミ油症の「国民的認知度の低さ」も救済の妨げとなっている。なお、最高裁敗訴を予想して訴訟を取り下げたことに伴う「仮払金返還問題」は、他の公害・薬害事件に例を見ない「国による被害者いじめ」ともいうべき特異な事態であり、自殺者も出たが、これだけは2007年特例法で解決を見た。同企業共通工程の「ダーク油」でニワトリの大量死が起こった時にライスオイルをも精査していれば、被害はもっと小さくできたはずである。

 

表2 カネミ油症の年表

1954年 鐘淵化学がPCBを製造開始。

1961年 カネミ倉庫がライスオイル(米ぬか油)の脱臭装置の熱媒体にPCBを採用

1968年 1月改造工事、2月ニワトリのダーク油事件、3月農林省回収指示。5月カネミ油を保健所に、6月九大皮膚科受診増加、10月朝日新聞報道、九大・久留米大・長大の研究班発足・診断基準発表、11月PCB検出1975年 九大の長山がPCDFを検出

1983年 九大の倉恒が主因はPCDFと発表

1984年 国の責任肯定の福岡高裁判決

1985年 国の責任肯定の福岡高裁判決

1986年 国の責任否定の福岡高裁判決

1987年 最高裁で原告とカネミ倉庫が和解、国への訴え取り下げ

1996年 農水省が仮払金返還の督促開始

2004年 認定基準にPCDF追加

2007年 救済特例法で仮払金返還は大半免除

2008年 新認定患者がカネミ倉庫を提訴

2012年6月 6人(認定患者である家族と同じ食事)の認定棄却異議申し立てを長崎県が却下。
2012年8月29日 カネミ油症救済法成立(新たな救済は認定患者の同居家族にとどまる)

 

3.福島第一原発事故

拙著の「過疎地にしか原発をつくれない理由」から以下に引用する。

 「原子炉立地審査指針を見ると一番わかりやすい(武田徹2011163以下)。原子力安全委員会のウェブサイトに「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」1964年原子力委員会決定、1989年 原子力安全委員会改訂)という文書がある。  http://www.nsc.go.jp/shinsashishin/pdf/1/si001.pdf

○原子炉の周囲は非居住地帯であること

○非居住地帯の外側は低人口地帯であること

○原子炉敷地は人口密集地帯からある距離だけ離れていること

が原則であり、仮想事故の場合に個人の全身被曝が250ミリシーベルト以下、集団被曝線量が2万人シーベルト以下になる程度に周囲が非居住地帯であり、人口密集地帯から離れていることが望ましいとされている。2万人シーベルトを250ミリシーベルトで割り算すると8万人である。玄海町7000人、唐津市126000人であるから、合計13万人であり、8万人との差は大きくない。ところが福岡市の人口は1476000人であるから、2万人シーベルトをそれで割ると14ミリシーベルトになってしまう。最悪の過酷事故の場合は個人の被曝が数百ミリシーベルト、場合によっては数千ミリシーベルトになると予想されるから、それでは耐えられない。つまり原発を九電の本社所在地である福岡市に建てることはできず、「九州の田舎」である玄海につくるしかない。この制度は「過疎地差別の制度化」と言ってよい。米国でも大半の原発はもちろん過疎地にある。しかしニューヨーク市から50キロのインディアンポイント原発のように、初期の原発には比較的人口密集地に近いものも少なくない(Mangano20082011)。

過疎地にしかつくれないので「東京に原発を」という警句(映画や本のタイトル)が意味をもつ。火力発電所は横浜など大都市にも立地されている」(戸田201229)。

日本政府と米国政府による最悪事故の予測は表6の通りである。ここで「理論上の最悪事態」というのは、「公衆(住民)の急性死が生じる事態」のことである。チェルノブイリでは作業員の急性死はあったが、公衆の急性死はなかった。フクシマでは急性死はなかった。しかし、2011年3月12日に政府(原子力・安全保安院)はベント難航時に「公衆の著しい被ばく(数シーベルト)を生じる」ことを恐れた(2011年5月4日長崎新聞1面)。チェルノブイリでも起こらなかった「公衆の急性死」が、かろうじて回避されたのである(戸田201223

人類が経験する「次の過酷事故」では、「公衆の急性死」が初めて起こるかもしれない。

世界192か国のうち原発を立地する31カ国の政府は、理論上の最悪事態」の可能性を50年以上前から知っていた。この事態は言い換えると、「広島・長崎の近距離被爆から爆風・熱線を差し引いたもの」である。

 

表3 原発問題の年表

1945年 広島・長崎

1954年 ビキニ水爆事件、正力・中曽根の原子力予算

1955年 原子力基本法

1960年 政府委託研究で小型原発の過酷事故でも住民急性死数百人を予想

1966年 東海原発臨界

1970年 敦賀原発、美浜原発1号臨界

1979年 スリーマイル島原発事故

1986年 チェルノブイリ原発事故。

2011年3月11日 福島第一原発事故。原発震災。

2012年5月5日 国内の原発稼働ゼロ。

 

表4 企業の責任

 

水俣病

カネミ油症

福島第一原発事故

メーカー

 

モンサント

鐘淵化学

米国政府(アルゴンヌ研究所)

ゼネラル・エレクトリック(GE)

日立、東芝

ユーザー

チッソ

カネミ倉庫

東京電力

備考

水銀の利用は古くから周知なので、チッソはどこかのメーカーに「唆されて」水銀を利用したとは言えない。

カネミ倉庫はモンサントからPCBを購入していないので、モンサントはPCBの用途と使用量を地球規模で拡大した道義的責任にとどまる。

国立アルゴンヌ研究所でBWRの基本設計を行なった米国政府の責任は、道義的責任にとどまる。

 

表5 国の責任

 

水俣病

カネミ油症

福島第一原発事故

担当官庁

環境省

旧通産省

厚生労働省

農林水産省

経済産業省

文部科学省

司法判断

2004年関西訴訟最高裁判決で国の責任が確定した。

2012年に原告勝訴の福岡高裁判決と原告敗訴の大阪高裁判決で判断が分かれた。

1987年に原告は最高裁敗訴を予想して取り下げた。

 

備考

1950-60年代の救済の遅れは旧通産省の責任が大きい。

昭和52年判断条件への固執と2009年特措法については環境省の責任が大きい。

仮払金返還問題は農林水産省による被害者いじめであるが、2007年特例法で解決した。

2012年現在、救済法の成立が待たれている。

 

 

表6 理論上の最悪事態の予測 

 

WASH740

(米国政府委託)

原子力産業会議

(科学技術庁委託)

WASH740改訂版

(米国政府委託)

WASH1400

(米国政府委託)

ラスムッセン報告

年度

1957

1960

196465

1975

原子炉の出力

熱出力50kW

(電気出力17kW

熱出力50kW

(電気出力17kW

熱出力50kW

(電気出力17kW

熱出力320kW

(電気出力107kW

急性死

3400

540

27000

中央値3300

下限830

上限13000

晩発性がん死

予測せず

予測せず

予測せず

中央値45000

下限7500

上限135000

その他健康影響

要観察者380万人

要観察者400万人

 

遺伝的障害中央値25500

甲状腺癌発生中央値24万人

生活影響など

永久立退46万人

財産損害2.1兆円

(当時の日本の国家予算1兆円)

永久立退3万人

一時立退3700

財産損害1兆円

(当時の日本の国家予算1.7兆円)

財産損害10兆円

(当時の日本の国家予算3.7兆円)

財産損害中央値

4.2兆円

(当時の日本の国家予算21兆円)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

















『原発事故の恐怖』瀬尾健、風媒社2000年、111頁の表から抜粋。武谷編 1976にも解説あり。1960年の報告書の詳細は1979年に赤旗がスクープするまで隠されていた。戸田201228から引用。

注 「急性死」の標準的な説明として次を参照。「放射線を短期間に全身被ばくした場合の致死線量は、5%致死線量が2シーベルト、50%致死線量 (LD50) 4シーベルト、100%致死線量が7シーベルトと言われている」

関心空間 http://www.kanshin.com/keyword/1310948   2012年5月検索

 

資料

荒木淑郎・井形昭弘・衛藤光明監修、水俣病医学研究会編1995『水俣病の医学−病像に関するQ&A』ぎょうせい 国側の書籍はこれ以降出版されていない。

伊藤守2012『テレビは原発事故をどう伝えたのか』平凡社新書

宇田和子2012「カネミ油症事件における「補償制度」の特異性と欠陥」『社会学評論』63巻1号53-69頁、日本社会学会

NHK2005「九州沖縄リポート 遅すぎた油症認定基準改訂」4月8日放映、九州ローカル番組

NHK2010「九州沖縄インサイド ゆらぐ水俣病認定基準 医師たちの告白」1126日放映、九州ローカル番組

NHK2012a「特報フロンティア 水俣病被害すべて救済されるのか」5月18日放映、九州ローカル番組

NHK2012b「クローズアップ現代 水俣病“真の救済”はあるのか 作家・石牟礼道子が語る」7月25日放映

小栗一太, 赤峰昭文, 古江増隆 編2000『油症研究 30年の歩み』九州大学出版会

金子サトシ監督『食卓の肖像』二〇一〇年、カネミ油症映像

カネミ油症被害者支援センター編2006『カネミ油症 過去・現在・未来』緑風出版

全日本民主医療機関連合会編2010『みなまたは終わっていない : 水俣病に苦しむ人たちと寄り添う医療者たちの証言 : 20092010』原田正純序文、かもがわ出版

津田敏秀2004『医学者は公害事件で何をしてきたのか』岩波書店

戸田清2009『環境正義と平和』法律文化社

戸田清2012『<核発電>を問う』法律文化社

直野章子2011『被ばくと補償』平凡社新書

原田正純2010『油症は病気のデパート』アットワークス

東島大2010『なぜ水俣病は解決できないのか』弦書房


古江増隆, 赤峰昭文, 佐藤伸一, 山田英之, 吉村健清 編.2010『油症研究 2』九州大学出版会

宮澤信雄2007『水俣病事件と認定制度』熊本日日新聞社

水俣病関西訴訟を支援する会2004「水俣病の虚像と実像」VHS映像、最高裁判決の前に制作。

マリー・モニク・ロバン『モンサントの世界戦略(仮題)』作品社近刊

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