『長崎平和研究』26131134頁(長崎平和研究所、200810月) 戸田清

書評『非武装のPKO NGO非暴力平和隊の理念と活動』君島東彦編著、明石書店、2008年4月、A5判、188頁、本体1800円 

 

 まず本書の章立てを紹介する。

序章 暴力の現在、非暴力の未来(君島東彦)

第1部 紛争地で武力によらずに命をまもる

1 プロジェクト開始2年の模索(大島みどり)

2 踏みとどまったスリランカ(リタ・ウェブ)

3 1つの政府と2つの‘くに’(徳留由美)

4 NPのプロジェクトの展開(大橋祐治)

第2部 非暴力のちから

1 非暴力平和理念の淵源とその発展(大畑豊)

2 世界の市民平和活動のなかでのNP(阿木幸男)

3 大いなるお節介−非暴力介入(奥本京子)

4 NPの挑戦と可能性(ディヴィッド・グラント)

第3部 人権、民主、平和の一体性

1 韓国民主化運動−軍事政権の克服からグローバルな連帯へ(朴成龍)

2 差別撤廃から国際平和貢献への道筋(小笠原正仁)

第4部 高野山シンポジウム−紛争地でNGOに何ができるか

 序章で君島氏は、「現在の地球社会の暴力は大づかみに捉えると3つに整理することができる。すなわち、グローバル・アパルトヘイト、パックス・アメリカーナ、そして9/11以後の対テロ戦争である」と述べる(5頁)。あとの説明を読んでみると、これは実に的確なまとめ方であることがわかる。グローバル・アパルトヘイト(こういう書名の本もある。Global ApartheidMuhammed AsadiWriters Club Press2003)というのは、かつての南アフリカのアパルトヘイトのように「世界の人口の2割の富裕層が、世界の富の8割を独占しており、人口の8割を占める多数の人々が2割の富を分け合っている。富裕層が住む地域は基本的に『平和』であり、多数の貧困層が住む地域では犯罪、紛争が頻発する」状況である。「平和」な<平和圏>と紛争が多発する<紛争圏>はおおむね先進国と発展途上国に対応するが、先進国のなかにも壁と警備会社に守られた<平和圏>と、犯罪、暴力の頻発するスラム街のような<紛争圏>がある。パックス・アメリカーナとはパックス・ロマーナ(ローマ帝国の支配による平和)に由来する表現で、米国を覇権国とする戦後世界秩序をさし、それに組み込まれた日本にも米軍基地が配置され、日本の経済、政治、軍事もパックス・アメリカーナの暴力に加担している(本書刊行直前の4月17日にイラクでの航空自衛隊の米軍支援に違憲との司法判断が下されたことは記憶に新しい)。アフガニスタン、イラクで「対テロ戦争」が進行しているときには米国内でも緊急事態=例外状態が日常化して、安全保障のために人権と民主主義の制限が行われた。

 こうした暴力を克服する市民活動の一環として非暴力平和隊(NP)の活動もある。人道的危機に対する武力行使でも傍観でもない「第三の選択肢」としてNGOの非暴力介入があり(4頁)、これはミリタリー(軍事)の領域を漸進的に縮小し、シビル(文民、市民、市民社会)の領域を拡大しようとする動きの一部である。NGOの非暴力介入の先駆的な組織が1981年に始まる国際平和旅団(PBI)であり、それをモデルのひとつとして2002年にインドで発足したのがNPである。NP以前にも、非暴力介入の活動団体はPBIの他にもいくつかあり、本書の89頁に一覧表がある。また国際機関のひとつであるOSCE(欧州安全保障協力機構)の「コソボ検証団」もNPのモデルになった。OSCEが文民の監視員を1000人規模でコソボに派遣したことから「紛争地に1000人規模の外国の文民、市民が入っていくことによって、紛争の暴力化を防ぐことができる」という主張が研究者やNGO活動家によってなされるようになった(11頁)。非暴力介入は平和憲法の趣旨に合致しており、「日本国憲法から世界の現状に向かうのではなく、世界の現状から日本国憲法に向かうべきである。」(13頁)日本国憲法は「<パックス・アメリカーナの暴力>と<世界のシビルによる平和>の対決点」としてあり、1999年のハーグ世界市民平和会議以来NGOの会議がたびたび日本国憲法9条に言及するのも偶然ではない(15頁)。

 NPは2003年にスリランカで、2007年にグアテマラとフィリピンで活動を開始した(87頁)。第1部はその参加者の報告である。第1部の1と2はスリランカでの経験である。スリランカに派遣されたスタッフは男性4人、女性7人で、国籍を見ると、ケニア人、ガーナ人、フィリピン人、インド人、日本人、米国人、カナダ人、ドイツ人、パレスチナ系ブラジル人であった(22頁)。活動の柱は護衛的同行、観察・監視、国際的プレゼンスである(25頁)。「護衛的同行」というのは、暗殺や暴行を受けるおそれのある現地の平和・人権活動家に外国人であるNPスタッフが同行して彼らを守ることだ。2004年4月の総選挙の選挙監視、同年12月のスマトラ沖地震による津波被災の救援活動のサポートなどが行われた(26頁)。食糧や医薬品などを援助するNGOに比べると、救援物資を運ぶのではなく、紛争の暴力化を防いだり、他のNGO(オクスファムなど)や国連機関(ユニセフなど)との橋渡しなどを行うNPの活動は現地で理解されにくく、最初は「あなたたちは何をくれるの?」とよく聞かれたという。「差し出すものを持たない」手ぶらの辛さである(27頁)。子供たちを誘拐されたスリランカの母親たちの語り(42頁)は強く訴えるものがある。

 第1部の3は、フィリピンのミンダナオでの経験である。現地の人のミンダナオ紛争についての説明は、「500年続いている」だったり「30年続いている」だったりするが、どちらも間違いではない。前者はスペインの侵略、後者はマルコス政権下で激化した戦後の紛争のことなのだ(57頁)。親米アロヨ戦争の「対テロ戦争」=アブ・サヤフ「掃討」作戦も事態をややこしくしている(58頁)。NPの活動の大きな方針は「どちらのサイドにもつかない(Non Partisanship)」で、平和構築にも大きく役立つ(61頁)。日本が輸入する生鮮果実の58.5%はバナナであり、バナナ輸入量の75.2%はミンダナオ産である(65頁)。

 第1部の4は、進行中の3つのプロジェクト(スリランカ、グアテマラ、フィリピン)とこれから始まるコロンビアのプロジェクトの概観である。国際派遣中心の中規模プロジェクト(スリランカ)、地元活動家中心の大規模プロジェクト(ミンダナオ)、期間限定の緊急プロジェクト(グアテマラ)、国際派遣中心の大規模プロジェクト(コロンビア)という特徴があり、NPの活動のタイプを示している(84頁)。

 第2部はNPの活動理念、可能性と限界の考察である。国際平和旅団(PBI)での活動を経てNPに入った大畑氏(第2部の1)は、NPの手法を護衛的同行、国際的監視、緊急行動ネットワーク、非暴力と人権に関する教育プログラムの提供にわけて解説する(90頁)。NPの構想と課題・留意点を示し、マハトマ・ガンディー、阿波根昌鴻、宮田光雄らの非暴力思想の言葉を紹介している(99頁)。非暴力トレーニングについての著書や核問題についての訳書でも知られる阿木氏(第2部の2)は、NPの特徴とメリット、NPの限界を考察する。ところで「Non Partisanship」(61頁)と「Nonpartisanship」(104頁)で表記が不統一だが、どちらが正しいのだろうか。奥本氏(第2部の3)が紹介するヨハン・ガルトゥングの「紛争介入の10類型」(113頁)もいろいろな事例や活動を比較するうえで参考になろう。NPの4つの原則は、政治的立場をとらない(nonpartisanship)、独立性、不干渉、非暴力だという(117頁)。なお、紛争は二者関係とは限らず三者以上のことが多いので、「第三者」でなく「アウトサイダー」と呼ぼうという指摘はその通りであるが(121頁)、では本当のアウトサイダーはいるかというと、先進国の資源浪費が発展途上国の紛争の遠因となることも多いのだから、本当のアウトサイダーは宇宙人(異星人)だけなのかもしれない。グラント氏(第2部の4)は、NPの5年間の経験を総括している。「われわれのドナーの基盤は、平和団体の分野では大衆的な広がりを持っている。これはよいことだが、大半の資金は、金額の大小を問わず、米国の個人に依存している。これは、グローバルな組織としては望ましいことではない」(131頁)などと指摘する。

 第3部では、韓国民主化運動(第3部の1)と日本の部落解放運動(第3部の2)の経験から、東アジアにおける人権、民主、平和の課題の関連性について語っている。

 第4部はシンポジウムである。ここ20年間にはっきりしてきたことは、文民、市民が軍隊に代わっていく動きである(164頁)、日本国憲法9条とNPは互いに補強しあう(164頁)、グアテマラの活動はNPの他の派遣と異なりチームのスタッフに給与はなく、スペイン語の堪能と過去の活動実績から選ばれた(165頁)、NPが考えているのは「行動する非暴力」である(173頁)、今すごく難しいのは、ライフ・スタイルとか、生き方そのものを変えながら、いかに非暴力的な運動というものを作っていくかだ(173頁)、世界人権宣言が私たちのpartisanshipだ(177頁)などの言葉が印象に残った。

 あとがきで君島氏は、「しない」平和主義(自衛隊の海外派兵などに反対する)と並んで「する」平和主義(市民の国際平和協力実践)が大切だという持論を述べ、NPは「紛争地の住民の生命を守ることを目的としている。武器を持たずに紛争地に行き、紛争当事者に『外部の目』『国際社会の目』を意識させることによって紛争の暴力化を防ぐ活動である」とまとめる(181頁)。そして「戦後日本は最も軍隊を脱正統化した社会の一つではないか」「軍隊の活動領域を減らし、文民・NGOの活動領域を拡大すべきだというのはいまの世界の潮流である」と指摘する。世界の潮流に逆行するブッシュ政権とそれに付き従う日本政府は恥ずかしい。

 本書は待ち望まれた「非暴力平和隊(NP)入門書」であり、平和運動への重要な問題提起である。

トップページに戻る

inserted by FC2 system