水俣病(環境社会学Ⅰでの映像使用例)

2008年4月15日 2008年7月15日改訂

●文章作成中●

2008年度前期「環境社会学Ⅰ」での映像使用(2008年4月14日- )

1.『水俣病の虚像と実像』(チッソ水俣病関西訴訟を支える会、2004年)66分の映像(水俣病関西訴訟最高裁判決の直前に制作)の最初の20分を提示  4月14日(月曜クラス)/15日(火曜クラス)

昭和52年(1977年)判断条件の運用に問題がある。基準を満たしている人でも「9人に2人」しか認定されていない。基準そのものに欠陥がある。四肢末端優位の感覚障害だけで「相対危険度」が100倍前後(10280倍)なので、疫学条件(汚染された魚を食べた)と感覚障害があれば、「症状の組み合わせ」は必要ない。たばこをすわない人(非暴露群)の肺ガン発生率を1としたときたばこをすう人(暴露群)の肺ガン発生率が10であれば相対危険度は10倍である。たばこをすわずに癌になる人もいるし、ヘビースモーカーで100歳を越える人もいる。この場合、たばこをすって癌になった人のうち10人に1人はすわなくても癌になったと想像される。水俣病とは、海の食物連鎖を通じて生物濃縮されたメチル水銀で化学性食中毒になった人を言う。胎児性水俣病の人は、母から胎盤を通じてメチル水銀に暴露された。

2.『カネミ油症 遅すぎた認定基準見直し』NHK、2005年4月8日、九州沖縄金曜リポート、25分  4月21日(月曜クラス)/22日(火曜クラス)

3.『まっさらな肺をかえせ 造船じん肺根絶のために』三菱長崎造船じん肺訴訟原告団、じん肺根絶三菱長船の会、2004年、26分 『長崎ウォッチ2月号』NHK、2008年2月22日、前半は諫早湾干拓であるが、後半のアスベスト問題(10分)を映写した。上戸町病院内科の上尾真一医師。中皮腫・じん肺・アスベストセンターの片岡明彦氏。    4月28日(月曜クラス)/5月13日(火曜クラス)

4.『隠された被曝労働-日本の原発労働者 』Nuclear Ginza(英国チャンネル4で1995年放映)日本語版 VHS25分。NHKは国策に反するので放映不可能、民放はスポンサー(九州電力ほか)の意に反するので放映不可能のため、日本語版は自主制作された。 

「テレビ朝日報道ステーション 日本の原子力発電が新しい段階に まもなく六ヶ所村で再処理施設本格稼働 その内部を独占取材・安全性と必要性を問う」NCC2008年4月11日放映 10分 司会:古館伊知郎、コメンテーター:月尾嘉男(東京大学名誉教授・工学博士) 5月12日(月曜クラス)/5月●日(火曜クラス)

5.『イラク 戦場からの告発』西谷文和撮影、イラクの子どもを救う会(大阪府吹田市)DVDビデオ、2007年、32分 戦争あかんシリーズ2★

『私たちはこんな姿で生まれたくなかった ベトナム戦争・枯葉剤の犠牲となった子供たち』VHSビデオ、IFCC国際友好文化センター、2001年、13分  キーワード:ベトナム枯葉作戦、ダイオキシン汚染、第三世代への影響

5月19日(月曜クラス)/5月●日(火曜クラス)

6.

7.

●はじめに――代表的(古典的)な環境問題

1.足尾鉱毒事件(明治時代、近代日本の公害の原点、産業公害)

2.水俣病(1956年公式発見、現代日本の公害の原点、産業公害)

3.ボパール事件(インドにおける米国系農薬工場の事故、1984年、死者1万人以上、史上最悪の産業災害。「化学のヒロシマ」、「インドのヒロシマ」と呼ばれる。産業公害)

4.チェルノブイリ原発事故(旧ソ連、1986年、史上最悪の原発事故、産業公害)

5.自動車(資源浪費、大気汚染、地球温暖化、交通事故、生活公害=ライフスタイル問題)

6.たばこ(死者の数でみると最大の環境問題=年に世界で500万人、米国で44万人、日本で11万人、生活公害=ライフスタイル問題)

7.戦争(戦争は最大の環境破壊、先進国による資源浪費――石油など――を維持するための「アメリカの戦争」、原爆投下、ベトナム枯葉作戦、劣化ウラン兵器)

ボパール事件については日本では知名度はとても低い。日本語文献にたとえば下記がある。

『ボパール 死の都市 史上最大の化学ジェノサイド』ボパール事件を監視する会編(技術と人間、1986年)

『農薬シンドローム : ボパールで何が起ったか』デヴィッド・ウェア、鶴見宗之介訳(三一書房、1987年)

『死を運ぶ風:ボパール化学大災害』ダン・カーズマン、松岡信夫訳(亜紀書房、1990年)

『ボパール午前零時五分』全2巻、ドミニク・ラピエール、ハビエル・モロ、長谷泰訳(河出書房新社2002年)

ボパール災害を予想してたびたび警告した地元のジャーナリスト、ラジクマール・ケスワニは、日本の雑誌で宇井純と対談している(「ボパールの教訓」『世界』1986年4月号、岩波書店)。

ラピエールとモロ(仏語原著2001年)はボパール事件の被害規模について、死者1600030000人、負傷者50万人という数字をあげている。

 

●水俣病についての補足説明

水銀汚染が始まったのが1932年。水俣病患者の最初の発生がおそらく1941年(もっと早かったかもしれない)。公式発見が1956年。原因食品(水俣湾の魚介類)がわかったのが1957年。この時点で食品衛生法4条(現在の6条)を発動して当該海域の漁獲を禁止すべきであった。ここで熊本県は厚生省に照会し、厚生省は「すべての魚介類が有毒化しているかどうかわからないので4条を適用できない」と回答した。これは第一に、県行政の所管事項であるから、そもそも国に照会する必要がなかった。同年に熊本県は「原因食品判明、病因物質不明」で何件も4条を適用している。第二に、厚生省の回答が間違っている。お弁当にたとえよう。「幕の内弁当A」がある店から100個出荷され、修学旅行生50人が食中毒になった。細菌性食中毒と推測された。ところが残りの50個は有毒化しているかどうかわからないので回収せずに放置しようとなるだろうか。回収するだろう。病因物質(有機水銀)がわかったのが1959年。水質二法(水質汚濁防止法の前身)が制定されたのが1958年。だから水質二法を適用して工場廃水を規制すべきであった。1959年に熊本大学医学部が有機水銀であると解明し、厚生省食品衛生調査会も同意した。ところが日本政府が水俣病を公害病(有機水銀中毒)と認定したのは1968年であった。その直前に原因工程(水銀触媒を用いるアセトアルデヒド製造)はなくなり、水銀触媒を用いない方法に置き換えられていた。つまり規制対象がなくなってから認定したのである。化学工業界保護といわれても仕方ない。これを「9年の遅れ」(1959年-1968年)という。水俣病関西訴訟最高裁判決(2004年)は国の責任を確定したが、1959年の責任(水質二法)は認めたものの、1957年の責任(食品衛生法)は認めなかった。つまり先ほどの「お弁当を放置してよい」となったのである。もちろん下級審(地裁、高裁)の判決には、1957年の国の責任を認めたものもある。弁当屋さんが食中毒を出して回収や営業停止により不利益をこうむるのは、衛生管理を怠ったゆえの「自業自得」である。しかし工場による汚染のせいで漁獲を禁止されると(4条適用)、責任のない漁師さんが不利益をこうむる。だからその場合は行政と工場が漁師さんに補償しなければならない。しかし工場が原因とまだ証明できない段階で工場(企業)に補償を求めることはできない。そういう意味で困難はあったのである。しかし公害は命にかかわるので、4条を適用し、行政が漁師さんへの補償金をたてかえるべきであった。裁判所は感覚障害だけで水俣病と認定したので、司法の基準と行政の基準(症状の組み合わせを求める昭和52年判断条件)の「行政と司法の二重基準状態」が生じた。それ以降環境省は、昭和52年判断条件の見直しを拒み続けている。2008年3月23日の熊本県知事選挙では、5候補のうちでただひとり「昭和52年判断条件の見直しの必要性」を理解していなかった蒲島郁夫氏(元東大教授)が与党の支援を得て圧勝した。「認定基準4氏疑問視 熊本知事選5候補」『朝日新聞』2008年3月13日。私の「水俣病事件における食品衛生法と憲法」(2006年)も参照(このウェブサイトの「最近の原稿」に掲載)。「水俣病年表」も参照(このウェブサイトの「最近の原稿」の「図表」に掲載)もし水俣病について卒論を書きたい人がいれば、津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(岩波書店2004年)、宮澤信雄『水俣病事件四十年』(葦書房1997年)は必読。2004年の最高裁判決以降、朝日新聞は社説で7回も「昭和52年判断条件の見直しの必要性」を訴えてきた。長崎大学ウェブサイト→図書館→データベース→新聞→聞蔵(朝日記事データベース)で「水俣病&社説」を検索するとよい。

20041016日社説「水俣病判決 国の怠慢が裁かれた」最高裁判決の論評

20041220日社説「水俣病認定 環境省は基準を見直せ」

200510月4日社説「水俣病認定 小池環境相の出番だ」

2006年3月20日社説「水俣病認定 基準を改めるのが先だ」

2006年9月25日社説「水俣病認定 基準を改めるしかない」

2007年5月4日社説「水俣病認定 環境省は逃げるな」

20071125日社説「水俣病救済策 全面解決にはならない」与党救済策が判断条件見直しから逃げていることを批判

他方、読売新聞は、認定基準見直し問題にまったく関心がない。2004年以降の社説で水俣病への言及は下記の1件であるが、与党プロジェクトチーム提案への翼賛であり、昭和52年判断条件への言及はない。なお英国『ギネスブック』によると、読売新聞は発行部数世界一の新聞(かつてはソ連共産党『プラウダ』が部数世界一)である。読売新聞1000万部、朝日新聞800万部、毎日新聞400万部。

「(社説)水俣病救済策 これで終止符を打つべきでは」『読売新聞』20071029日。

水俣病は「公害の原点」と呼ばれる。中学・高校の授業だけ聞くと、解決した過去の問題のように見えてしまう。しかし、認定基準をめぐる論争は現在も進行中である(原爆症の認定基準は2008年3月に不十分ながら改定された)。「昭和52年判断条件の見直しの必要性」が、たとえば長崎大学環境科学部教員(約50人)の共通認識になってほしいと思う(もちろん、まだ共通認識にはなっていない)。

●水俣病についての文献

『医学者は公害事件で何をしてきたのか』津田敏秀(岩波書店2004年)必読。御用学者批判。

『水俣病事件四十年』宮澤信雄(葦書房1997年)必読

『水俣病事件と認定制度』宮澤信雄(熊本日日新聞社2007年)

水俣への回帰原田正純(日本評論社2007年)必読

『水俣学講義』原田正純編(日本評論社2004年)

『裁かれるのは誰か』原田正純(世織書房1996年)御用学者批判。

『水俣病と世界の水銀汚染』原田正純(実教出版1995年)

『胎児からのメッセージ : 水俣・ヒロシマ・ベトナムから』原田正純(実教出版1996年)

『水俣の視図 : 弱者のための環境社会学』原田正純(立風書房1992年)

『水俣が映す世界』原田正純(日本評論社1989年)

『水俣・もう一つのカルテ』原田正純(新曜社1989年)

『水俣病は終っていない』原田正純(岩波新書1985年)

『水俣病にまなぶ旅 : 水俣病の前に水俣病はなかった』原田正純(日本評論社1985年)

『水俣病』原田正純(岩波新書1972年)

『水俣胎児との約束 : 医師・板井八重子が受けとったいのちのメッセージ』矢吹紀人(大月書店2006年)

『水俣病の真実 : 被害の実態を明らかにした藤野糺医師の記』矢吹紀人(大月書店2005年)

『あの水俣病とたたかった人びと : ドキュメント・21世紀への伝言』矢吹紀人(あけび書房1999年)

『新潟水俣病問題 : 加害と被害の社会学』飯島伸子,舩橋晴俊(東信堂1999年)

『新潟水俣病問題の受容と克服』堀田恭子(東信堂2002年)

『新潟水俣病をめぐる制度・表象・地域』関礼子(東信堂2003年)

『新潟水俣病 : おそるべき昭和電工の水銀公害』五十嵐文夫(合同出版1971年)

『しのびよる公害 : 新潟水俣病』滝沢行雄(野島出版1970年)

『水俣病の医学 : 病像に関するQ&A』水俣病医学研究会編(ぎょうせい1995年)国側の文献

水俣病事件における食品衛生法と憲法」戸田清『総合環境研究』第8巻第1号2338頁、長崎大学環境科学部2006年2月 このウェブサイトの「最近の原稿」に収録

●34年間も保留

水俣病認定申請をして「認定」も「棄却」もされないときは「保留」(判断先延ばし)となる。映像にもあったように「保留」が圧倒的に多い。関西訴訟原告団長の川上敏行さん(82歳)は34年間保留が続いていることを不服として、2007年5月熊本地裁に県を相手取り提訴。「水俣病認定「県に義務」 保留34年 熊本地裁に提訴へ」『朝日新聞』2007年4月10日。以下に「聞蔵」から新聞記事全文を引用する。

水俣病認定「県に義務」 関西訴訟原告、熊本地裁へ来月提訴 2007年4月9日朝日新聞西部本社版夕刊

  最高裁で勝訴した水俣病関西訴訟の原告団長だった川上敏行さん(82)=大阪府東大阪市=と妻カズエさん(80)が、水俣病患者であることの認定を熊本県に義務づけるとともに、県が認定申請から34年たつのに認定も棄却もしない「保留」のままにしていることの違法性を確認する訴訟を5月18日、熊本地裁に起こすと決めた。水俣病裁判の勝訴原告が、水俣病認定の「義務づけ」訴訟を起こすのは初めて。

 川上さんは熊本県水俣市、カズエさんは鹿児島県長島町・獅子島の出身。川上さんは大阪に移った68年ごろから、手足のしびれや頭痛に悩まされてきた。夫妻は73年5月に熊本県に認定申請したが、「認定」や「棄却」の結論を出さない「保留」のままになっている。

 川上さん夫妻は04年10月、国、熊本県、チッソを相手取った水俣病関西訴訟の最高裁判決で勝訴が確定。しかし、その直後に県の認定審査会が休止状態に陥った。今年3月に再開されたものの、いつ審査にかけられるのかわからない状況だ。

 今回の訴訟では、県が夫妻を水俣病と認定するよう裁判所が命じるよう求める。また、34年も処分を出さないことが「行政の不作為」にあたるとして、違法確認も求める。

 川上さんは「最高裁で勝訴したら、認定基準を変えて行政も認定すると思っていたのに何もしようとしない。やむを得ず、裁判を起こすことにした」と話した。

(注 以上の朝日新聞記事は、福岡市中心部など夕刊のある地域では4月9日夕刊、長崎市の大半などでは4月10日の新聞)

他方、発行部数世界一の新聞(ギネスブック)である読売新聞の社説はどうなっているか? 「昭和52年判断条件の見直し問題」に全く関心を示していない。下記のように、最近の社説でも与党救済策に全面的に賛成し、認定基準も現状でよいとしているようだ。

「(社説)水俣病救済策 これで終止符を打つべきでは」『読売新聞』20071029

●国の認識する水俣病の全体像

表 水俣病の全体像(08年、環境省)

認定患者(2月末)

2960人(生存855人)

医療・保健・新保健手帳交付者(3月末)

2万8600

認定申請者(3月末)

5992

出典 竹内敬二「環境教室 第26回 水俣病関西訴訟」『朝日新聞』2008年5月1日

岡山大学医学部の津田敏秀教授が指摘するように、「未認定食中毒患者が1万人以上」という事態が2件もある(水俣病3万人、カネミ油症1万人)というのは大変なスキャンダルである。日本は法治国家なのか、それとも「放置国家」なのか?

食品衛生法 厚生労働省所管

公害健康被害補償法 環境省所管

であるから、水俣病の認定を所管する環境省におそらく「食中毒」についての問題意識はない。

「放置」をキーワードとするイタイイタイ病の研究については、下記を参照。

『公害被害放置の社会学 イタイイタイ病・カドミウム問題の歴史と現在』飯島伸子・渡辺伸一・藤川賢(東信堂、2007年)

なお、広島・長崎の原爆被爆者1945年(被爆)から1957年(原爆医療法)まで12年間も放置されている。

 

●認定基準を改悪したのに「変えていない」と国が主張して自治体関係者や学者にたしなめられた。

1971年 認定基準「いずれかの症状」大石武一初代環境庁長官(元東北大学医学部助教授)

1977年 昭和52年判断条件「症状の組み合わせ」石原慎太郎環境庁長官(芥川賞作家、現在東京都知事)

基準の改悪によって認定が激減し棄却が急増したことについては、白木博次『全身病』(藤原書店2001年)52頁のグラフがわかりやすい。白木博士は「東大医学部教授には珍しく」原告側証人に立った(東大関係者は国や企業を擁護することが多い)。国の「厳しすぎる認定基準」の問題は水俣病、カネミ油症、イタイイタイ病、原爆症などに共通している。

国が修正を要求 水俣病の50年誌の認定要件「変更」→「通知」 朝日新聞20061115日西部本社版

  熊本県水俣市や環境省などでつくる水俣病公式確認50年事業実行委員会が編集している「水俣病50年誌」の中で、旧環境庁が77年に示した水俣病の判断条件の表現について、判断条件の「変更」とした文案に対し、環境省が「通知」と修正するよう求めていたことがわかった。「77年条件」は従来の条件を厳しくしたため、認定患者急減につながった。編集作業を担当する部会は同省の要求を退けたが、自らの見解にこだわる同省の姿勢に批判の声も上がっている。(宮田富士男)

 50年誌の編集は、実行委の教訓部会(19人)が担当、12月に出版される。同部会は市、被害者団体、研究者らで構成。環境省が修正を要求したのは、77年の判断条件を紹介した年表の表現。同部会は、水俣市立水俣病資料館が展示する年表を基に「71年の認定要件を変更」と表現した。これに対し、同省は10月末、「変更」ではなく「通知」が適当だと修正を要求。同部会は「広く『変更』と認識されている」として退けた。

 水俣病の判断条件は、旧環境庁が71年に「有機水銀の影響を否定できない場合は認定」と熊本県などに通知したが、77年には「複数の特徴的な症状の組み合わせが必要」などとした。以降、水俣病の認定割合は著しく減少した。

 85年の水俣病第2次訴訟の控訴審判決は、二つの判断条件の内容を比較したうえで、77年通知を「水俣病の認定要件を厳しくしたもの」と判断。「71年の判断条件を踏まえ、認定業務に資するための条件を示した」とする旧環境庁の説明を実質的に退け、「広範囲の水俣病像の患者を網羅的に認定するための要件としては厳格に失している」と批判した。

 同部会員で水俣病被害者の会全国連絡会の中山裕二事務局長は「環境省の要求は、判決でも退けられた内容。かたくななまでに自分たちの意見を変えない体質が問題だ」と指摘する。

 一方、同省特殊疾病対策室は「77年の判断条件は、71年の通知を具体化したもので変更ではない。それで修正案を出した」と説明している。

(以上朝日新聞記事)

●熊本県と新潟県の対応

水俣病、熊本県「国頼み」 新潟県は年度内にも独自支援 対象人数、ケタ違う 朝日新聞2008年4月10日西部本社版

  水俣病未認定患者の救済問題で、新潟県が今年度中にも独自の支援策を実施する方針だ。国の基準より幅広く「患者」と認め、介護費などを県の負担で支給する見込み。国の救済の枠組みを踏み越える推進力になったのは、知事のリーダーシップだ。一方、新潟県よりもはるかに被害者が多い熊本県は、国頼みの姿勢が目立つ。16日に新知事に就任する蒲島郁夫氏はどう動くのか、被害者団体などが注目している。(稲野慎、長富由希子)

 新潟県の支援策は3月25日、泉田裕彦・新潟県知事に出された「新潟水俣病問題に係る懇談会」(座長=本間義治・新潟大名誉教授)の提言をもとに策定される。

 この懇談会は、泉田知事が未認定患者と面会した際、「症状があるのに国の基準に満たないと患者と認められない」と訴えられたのを機に設置を決断したという。

 泉田知事は「国の枠組みには限界がある」と指摘。県が乗り出す理由を「地域社会として、困っている人を助けようという社会施策だ」と説明する。

 独自支援とは別に、県は従来の患者認定業務でも改革を進める。

 昨年12月、認定審査会の審議に初めて申請者の主治医が出席し、病状を説明した。今年2月には医師だけだった審査会委員に弁護士が加わった。いずれも県が選んだ医師による「密室審議」という被害者の長年の批判に応えた。

 さらに支援策では、認定審査会とは別の方法で「患者」か判断する方針という。

 一方、熊本県はこうした独自策に否定的だ。村田信一・県環境生活部長は「水俣病問題は国と一体化した取り組みが必要な国家的課題」としたうえで、対象人数や予算が「新潟とはケタが違う」と強調する。新潟県は、医療手帳や保健手帳の所持者数から未認定患者を、少なくとも約600人と見積もるが、熊本県では約1万9千人にのぼる。

 04年の関西訴訟最高裁判決で国と熊本県の行政責任が確定した直後の同年11月、同県は、未認定患者に療養費を支給する案を国に提示した。翌05年に環境省が打ち出した救済策に結びついたが、県は当初から国の負担を織り込み、国の基準とは別に「患者」と認める内容ではなかった。

 その間に認定申請者は急増、熊本・鹿児島両県で約5900人に達した。熊本県は救済を国に求め、現在は与党プロジェクトチームの救済策実現をめざす。鹿児島県も同様の立場だ。

 熊本県の対応について、蒲島氏は「県として十分にやってきたのか、疑念が持たれている。患者の目線に立った能動的な施策を打ち出せないか探りたい」と語る。

 水俣病患者連合の高倉史朗事務局長は「新潟の独自策は大きな一歩。蒲島新知事が水俣病施策にどう積極的にかかわるか注目したい」と話している。

 ◆キーワード  <新潟県の独自支援策> 国の認定基準は、手足のしびれや視野狭窄(きょうさく)など複数の症状の組み合わせが必要だが、「新潟水俣病問題に係る懇談会」の提言では、新潟水俣病患者を「阿賀野川流域の魚介類を食べてメチル水銀に暴露され、水俣病の症状がある者」と幅広く定義。県や新潟市は対象者に、従来の保健手帳で支給される医療費の自己負担分に加え、介護保険の福祉系サービスの助成などの「上乗せ給付」を検討している。

 【写真説明】 新潟県主催の水俣病研修ツアーに参加し、慰霊の鐘をならす参加者=3月21日、熊本県水俣市、豊岡亮撮影

(以上朝日新聞記事)

●海外の水俣病(有機水銀中毒)

中国の松花江の水俣病(1980年頃に発見)については相川泰『中国汚染』(ソフトバンク新書2008年)、カナダインディアンなどの水俣病については原田正純『水俣への回帰』(日本評論社2007年)などを参照。

●イタイイタイ病と長崎県対馬

中学、高校で習う4大公害・4大公害裁判(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息)では、イタイイタイ病(カドミウムによる腎臓尿細管障害と骨軟化症)は富山県のみで発生したとされ、長崎県対馬などにはイタイイタイ病はないことにされている。齋藤寛「環境中のカドミウムと人間の健康」谷村賢治・齋藤寛編『環境知を育む 長崎発の環境教育』(税務経理協会、2006年)、飯島伸子・渡辺伸一・藤川賢『公害被害放置の社会学 イタイイタイ病・カドミウム問題の歴史と現在』(東信堂、2007年)を参照。また、対馬のイタイイタイ病についてのジャーナリストの著作としては、『隠された公害:ドキュメント イタイイタイ病を追って』鎌田慧(三一新書、1970;ちくま文庫、1991年)がある。齋藤博士(長崎大学学長)の論文から表を引用する。

表 カドミウム汚染地域住民の尿細管障害と骨軟化症の関連

地域

尿細管障害

骨軟化症

富山

最重度

中〜高度

長崎[対馬]

高度

軽〜中度

秋田

軽度

なし

出典 齋藤,200654 [対馬]は戸田の補足。

斎藤博士(公衆衛生学)は国の研究班の一員(当時は若手研究者)であったが、研究班の結論は非科学的であると次のように厳しく批判している。「しかし、研究班の結論は「カドミウムと判定することはできない」というものであった。その理由は「カドミウム汚染地域のなかに尿細管障害の認められない地域があるから、カドミウムが原因とはできない」というものである。(中略)この論法の非科学性をほかの事例で考えてみよう。喫煙が肺がん発症の要因であることはよく知られている。この考えは喫煙者には喫煙者には非喫煙者に比して有意に肺がんが多いという疫学的事実から導かれた。そして、タバコの煙のなかに多種類の発がん性物質の存在することも明らかにされた。もちろん、非喫煙者にも肺がんがあること、また喫煙者であっても肺がんにならない人が大勢いることも事実である。しかし、このことから喫煙の発がん性そのものを否定することは科学的でない。しかし、現実には発がん性に否定的な意見が根強く主張されているのも事実である。喫煙の健康影響についての科学的な判断が周知されることを喜ばない人たちがいるからであろう。カドミウム環境汚染にかかわる健康障害についても同じことがあるのではないだろうか。「カドミウム汚染のある地域にのみ尿細管障害者が見出され、非汚染地域では1人も見出されなかったことはカドミウム曝露が尿細管障害発症の要因であることを明確に示す」と私は結論づけたが、皆さんはどうお考えだろうか」(斎藤,20064041)。

また、社会学者の渡辺伸一氏は、国の研究班の有力メンバーの1人である喜田村正次氏(熊本大学医学部教授、神戸大学医学部教授を歴任)を次のように厳しく批判している。「(前略)そういう保管の仕方をするのはなぜか。それは、喜田村氏も、この骨の標本を骨軟化症だと認めているからに他ならないだろう。これらは、喜田村氏の科学者としてあるまじき行為を告発すると同時に、喜田村氏が委員長を務めた兵庫県診査委員会の生野イ病[イタイイタイ病]否定の判断が、いかに不当なものであったかを示すものである。」(飯島・渡辺・藤川,2007172173)。医学には素人である若手社会学者(准教授)が、高名な医学部名誉教授に向かって「科学者にあるまじき」とまで言う。驚くべきことだろうか。ところが喜田村氏は「名誉棄損」で訴えることができない。なぜなら、反論できないからである。

教科書で習う「4大公害裁判」でいう「イタイイタイ病原告勝訴」とはもちろん富山の原告のことである。長崎県対馬や兵庫県生野には日本政府によって「イタイイタイ病はない」ことにされたので、もちろん裁判提訴はできなかった。

 

●受講生の感想抜粋

「今日授業を受けて、本当の水俣病を知ることができたような気がします。水俣病は「病気」というとらえ方だけでなく、行政の実態などもはっきりと現れていることを知り、さまざまな矛盾を感じました。誰でもわかることなのに国が食品衛生法を適用しなかったり、水俣病の[昭和52年]判断条件の運用が不適切だったりと、苦しんでいる被害者のために行っていかなければならないことが、ほとんど実行されていないのはおかしいと思いました。また長崎[対馬]にもイタイイタイ病があったと知り、苦しんでいるのに何の対応もされていない人がたくさんいると思うと、今後の日本は力関係の問題など改善すべき課題がたくさんあると思いました」(女子)

「水俣病の認定基準があんなに複雑でかつ、いいかげんなものだということを、初めて知った。国は無駄なことにたくさんお金を使って人助けには使わないで、行政が存在している意味がないと思った」(女子)

 

「今回講義を受けて、適切に判断条件を運用していなかったり、裁判で負けたのに再審を求める県(戸田コメント 「再審を求める県」ではなくて、「判断条件の見直しを拒む国」のことだと思うが)などの行政が印象的だった。苦しむ患者さんのことを考えたら、おのずと誠実な対応になると思う。行政が自分の身を守ることを優先してはならないと思う」(女子)

 

「公害病の原因がわかっていても解決されていないということにもどかしさを感じました。しかし、選挙では水俣病にふれていない方が当選してしまっているなど(戸田コメント ふれていないわけではない。熊本県知事候補は5人とも水俣病にふれていた。問題は、5人のなかで当選した蒲島氏だけが「昭和52年判断条件の見直し」にふれていなかったことである)私たちが自ら解決への道を遠ざけてしまっている部分もあったので、何よりもまず、私たち自身が公害病について正しい知識をつけていかなければならないのだと思いました」(女子)

 

「今日のテーマであった水俣病は小学校の頃から学んでいたものでしたが、どうしたら水俣病と認められて国に援助してもらえるのかということまでは知らなかったので、新しいことが学べてよかったなと思いました。現在水俣病発見から60年以上たっていますが(戸田コメント 1956年公式発見なので52年)国は水俣病患者が死ぬのを待っているのでは?と感じてしまいました(戸田コメント 「死ぬのを待っているのでは」というのは、カネミ油症、原爆症、薬害問題などでもよく言われる)。」(女子)

 

「4大公害のひとつである水俣病が、感覚障害や運動失調、言語障害などを引き起こすことは知っていたが、今日の講義を通じて新たに多くのことを学習することができた。中でも、学者の虚言や水俣病の認定基準の問題そして対応の遅さには本当に驚いた。今日の講義の中でいろいろなことを学べた。またいろいろなことを考えさせられ、本当に良かったと思う」(男子)

 

「煙草が原因で亡くなる人が戦争によって亡くなる人より多いというのが衝撃的でした。[水俣病で]東工大などの教授がめちゃくちゃな[ことをした]実態を知って、この人たちは頭が良くても倫理感というものはなかったのだろうかと憤りを感じました」(男子)

 

「水俣病は昔に終わったこと、解決した問題だと思っていたので、今も問題が続いていることを初めて知りました。水俣病は完治するものではなくて、その先も人が苦しむ病気なんですね」(女子)

 

「自分が水俣病だということを認めてもらうのにも時間がかかり、大変だったということを知り衝撃だった」(女子)

 

「今日の講義では、水俣病の深い話を聞き、自分の知らないことの多さに驚きました。小学校から何度も習ってきたのでわかっているつもりになっていたと気づき、水俣病になってしまった人やその人を支える周囲の人は本当に辛い思いをしてきたのだなと考えると胸が痛みました」(女子)

 

「水俣病に対する国の態度が被害者に対してこれほどずさんだとは知らなかった。国民に対する社会保障制度としてどうかと思うし、[県が]認定[の判断]さえ34年も避けているのは真剣にこの問題に取り組んでいるようにはみえない。われわれにできることはこの現状を伝えていくことだと思う」(男子)

 

「長崎県[対馬]のイタイイタイ病がなかったことにされていたというのを初めて知って驚いた。日本政府も対応を見直すべきだと思う」(女子)

 

「イタイイタイ病の事実が長崎県[対馬]にもあったこと、そしてそれが日本政府により消されていたことを初めて知って衝撃を受けた。水俣病や原爆症の認定基準はどのようなプロセスで設定されているのかを知りたい」(男子)コメント 国の審議会での審議をふまえて決める。審議会委員(学者)の選任(人事)は役所による。

 

「水俣病は小学校のときから習ってきた。しかし何万人もの人が苦しんで、それを国から認められていなかった事実を初めて知った。人道的に明らかにおかしいことを政府が行っていたことに驚いた。」(女子)コメント メチル水銀に汚染された人はたぶん20万人以上。自覚症状があり認定申請して却下・保留の未認定患者は1万人くらい。認定患者は2000人あまり。

 

「水俣病について小・中・高とそれぞれで習ったことはあったが、裁判の詳しい内容は知らなかった。ビデオを見て、国や県の無責任な態度に腹立たしい思いがした」(女子)

 

「4大公害病として水俣病を何度か学習してきたが、責任問題や行政の対応という観点から考えたのは初めてだった。環境[問題]は社会と深くかかわっていたことにも改めて気付かされ、水俣病での[感覚障害の]相対危険度を無視した対応に行政のいい加減さを感じた」(女子)

 

「イタイイタイ病は富山県だけだと思っていたのに、長崎県や兵庫県でもあったということを知り、しかも行政がなかったことにしたというのに驚いた。水俣病の認定申請に対して34年も保留されていたり、何度申請しても毎回棄却されたりと、行政の対応に憤りを感じた」(女子)

 

「水俣病の関西訴訟のことは詳しく知らなかったので今日の講義は印象に残った。水俣病の判断基準は少し厳しいと思った。委員会は適切に判断条件を運用せず、ずさんだと思った。相対危険度や発生比率などを参考にする制度をつくってほしい。34年間も認定を保留した理由を知りたい。日本は上が変わらないと変わることができない国なのかと残念に感じた」(男子)

 

戸田「水俣病事件における食品衛生法と憲法」

 

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